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烏鷺

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夕に綻ぶ 32

瑛太は順子を「ママ」と呼ぶ。
玲子の事は「お母さん」だった。
新しい幼稚園は、他の園児が馴染んだ頃であったので、
比較的丁寧に気配りをして貰えたようだ。
毎日の連絡帳にも詳しい記載があり、それでいけば、瑛太は順調に溶け込んでいる。
自分から声をかける事は少ないが、きっかけがあれば他の園児と遊ぶ。遊び出せば主導権を握る事も多い。
家においても玲子を求める事もなく、案じていた夜泣きや夜尿もなかった。
玲子に「楽観はしていない」と言われていた均には拍子抜けだった。
これまでの延長のように日々が過ぎていく。
均は仕事に行き、帰り、共に夕食をして暫しの団らんの後、子どもらを寝室に送り込む。
順子もそのまま寝てしまう事もあって、均は自分の居室に入る。
ドアを閉じれば、現実とは隔離された世界だ。
主寝室とはリビングを挟んでおり、気配は伝わらない。
均は、坂下が暮らしていた、そしてもしかしたらその最後の眠りを得た、部屋で横になる。
順子もいない。玲子も母も子どもたちも。

二か月ほど過ぎて均は玲子に電話を入れた。近況報告がてら一度会いたいと。
玲子は報告ならば順子から貰っているし、夏の休暇に泊まりに行く事も考えていると応えた。
「いっそ一緒にどこかへ旅行するのもいいかも知れない。予約がとれるなら だけど」
話しながら玲子は自分の案に乗り気になったようだ。
順子と相談して、同意が得られたら二人で会って決めましょう。
「じゃ今夜にでも……」
「私から言うわ」 玲子はきっぱりと言い、また連絡すると通話を切った。
均は音を立てる携帯を眺め、これは喜ぶべき事態なのだと自分に言い聞かせる。
そのうちに玲子から着信が入り、早速計画を立てたいから昼食を一緒に摂れないかと訊いてきた。
興奮気味なその声に均は圧倒され「ああ どこ」と返す。
外回りの時間を利用して近くまで行く。適当な店を教えてくれと玲子は言い、均は席を確保した。
先に来ていた玲子はテーブルに雑誌を広げていた。
順子の希望を聞き出し、大方の行き先を決めていたようだった。
たいした考えもなかった均は、「子どもたちにもいいと思うの」の一言に押し切られる。
「帰りに旅行会社に寄るわ。プランニングと予約を頼んでくる。日程は……休みは?」
後でメールを送ると言っておいた。
慌ただしく食事を済ませ玲子は去っていった。
結婚していた時より、妙に夫婦らしい時間を過ごした気がする。

旅行はうまくいった。
子どもたちは遊び、女たちはお喋りに興じ、均はそれらを眺めて家庭を味わい、
時にひとりになって独身的に休暇を愉しんだ。
それぞれがそれぞれに満足を得た。
そしてそれを機に玲子はたびたび泊まりに来るようになった。
順子は歓迎して玲子をもてなし、玲子は一度は主婦を経験した身であるので順子の負担を増やす事なく、
一番に案じた瑛太は、どういう認識でいるのか、独特の距離感をもって玲子に甘える。
玲子曰く、その間合いは順子由来ではなく、以前から続くものであるらしい。
借りてきた犬を膝に乗せるように玲子は瑛太を撫でる。
瑛太も借りてきた猫のように喉を鳴らす。悟までが玲子の首にしがみつき、「ああたん」と呼ぶ。
奇妙な光景だ。
だがそれを奇妙と感じたのは均だけだったらしい。
玲子が帰った後順子はほっと息をつき、それは緊張が解けたのだろうと均は思ったが、
そうでなく「玲子さんがずっといたらな」と呟いたのだった。
「変だろう」
「そう?」 順子は言う。「嫌い合って別れたんじゃないでしょう」
均からは何も話していない。玲子とて口に出来る状況ではないだろう。
だが二人の仲が険悪なものでない事は傍目に分かる。
均自身、玲子の存在価値を再認識する事もある。
「玲子さんを女性として意識する事もある?」
「いや」 実際にそれはない。女性という性そのものを意識する事がないのだ。
しかし強くきっぱりと否定する口調でもなかった。
玲子を自分に属するものとして捉えたいと思う気持ちがあるからだ。
by officialstar | 2015-02-02 12:56 | 夕に綻ぶ