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烏鷺

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夕に綻ぶ 6

月ぎめの家具付きマンションは快適ではあったが、「住居」にはならなかった。
雑然とした部屋は好きでなく、まめに片づけていたせいもあるのだろうが、
いつまでもよそよそしいままだった。
帰宅してドアを開けて、だがひとりになれた安堵は感じられても、寂しさは増す。
習い覚えた料理もやる気にはなれなかった。外食して帰る。
それも続けば虚しい。
仕事は順調だった。むしろ前の会社より居心地は良かった。
派遣先の社長から正社員の打診があった。それもいいかも知れないと思う。
契約の半年が近づいたら考える事にする。一生働き続ける職場かどうか、簡単には分からない。
だがどうであれ、それは紛れもなく自分に下された評価だった。
均自身の価値で社長は彼が欲しいと思ったのだ。
その事実は失いかけた自尊の幾らかを、均に取り戻させてくれた。
向かいの机で仕事をする坂下という男性も派遣だった。
一見会社員には見えない。勿論学生にも見えない。
人と親しく話しながら、溶け込む様子はない。だがその魅力が人を惹きつける。
女性社員が、彼のところだけゆっくりとカップを置く。
彼は丁寧に礼は言うが、会話に発展させる事を拒む。
その様を、均は毎日のように眺める。どちらが先に諦めるだろう?
女性社員は若く、好感のもてる容姿をしていた。男が拒む理由が分からない。
「どうぞ」 均のところにも、彼女は回ってくる。
「ありがとう。香水 変えた?」
彼女は笑い、坂下の方をちらと見る。
均は続ける。「おしつけがましくなくて 好きだな」 
下心がない事を示すために目線を仕事に戻しながら、だがどこかで坂下を意識して、言う。
明日彼が彼女の横で息を深く吸うならば、脈はある。
しかしその後も進展は何もない。
女性が諦めないのは、坂下に女の影がないからだ。それは均にも分かる。
踏み込めないでいるのは、坂下に彼女への興味が感じられないから。
均は言う。 「髪を切ったね。軽くて素敵だ」 
しかし坂下は目線も上げない。均は肩を竦める。彼の意向は彼女にも伝わっていた。
目くばせをして笑う。

飲み会があった。個人的な誘いは何度もあったが、職場全体のそれは初めてだった。
部屋を一巡した後、幹事は坂下のところへ行った。坂下は日時を確かめ、参加を伝えた。
周囲が少しざわついた。
後から聞いたところによると、彼はそれまでずっと欠席だったらしい。
派遣だからそれでも構わないのだが、全て不参加というのも珍しいようだ。
当日、均は少し体調が悪かった。
しかしこれといって症状がなかったのと、翌日から三連休なのとで参加をとりやめにはしなかった。
そういう席での坂下への好奇心もあった。
仕事場同様そつなくこなすのだろうか? 彼は決して浮いた存在ではなかった。
それが素ならば飲み会の席も拒む必要はなかった筈だ。
好青年を装う裏に何があるのか、その片鱗に触れる事が出来るかも知れない。
均は坂下の横に席を取り、グラスに酒を注ぎ続けた。
しかし彼は強く、先に酔ったのは均だった。均も決して弱い方ではなかったが、体調のせいもあったのか。
「大丈夫ですか」 
口数の減った均を坂下が案じる。手を挙げて水を頼む。
それを均に飲ませ、洗面所に連れて行こうとした。
均は一人で行けると断った。それだけでも充分な醜態だった。
吐くほどの事はなかったが、冷たい水で顔を洗って少し落ち着いた。頭痛の予兆がした。
帰った方がいいと思いながら廊下を行くと、正面に坂下が立っていた。
by officialstar | 2014-07-26 11:04 | 夕に綻ぶ