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烏鷺

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恵利加 1


その制服を知っていたのは、その高校が有名だというだけじゃなかった。
私が受験しようとしている学校だったから。
当時私はその学園の中等部目指しての受験勉強中だった。

学校は隣の駅にあり、ここからは自転車でも通える。
しかし近辺でその制服を見かけた事はなかった。
彼を見た時、思わず目で追ってしまったのはそういうわけだった。
私は小走りに通りまで行き、その背中を探した。
次の角を曲がっていく。
それ以上に追いかけてどうするつもりだったのか。
毎日頑張ってはいたけれど、近づいてきているように思えない目標に
もしかしたら彼の姿が重なったのかも知れない。
彼を現実に捕まえる事が出来たなら、私の夢も叶うんじゃないか。
私はそのまま角まで走り続けた。そして止まる。
彼が自転車を引いて門をくぐるのを見つけたのだ。
ではあそこが彼の住まいなのか。マンションにしては冴えない建物だ。
近くまで行って、門に下げられた札を読む。
会社の名前と、その下に独身寮という文字があった。
ぼんやりと言葉を反芻していると、門から彼の顔が覗いた。
「何? 何か探し物?」
「えっ」
「誰かの家 探してる? ここに知り合いがいるの?」
私は首を振る。彼は、ああそうと顔を引っ込めようとした。
「それっ」 私は慌てて言った。「その制服」
「うん?」 彼の頭は一度見えなくなったが、私が一歩踏み出そうとした時に門から出てきた。
「その制服」 私は校名を早口に言った。「だよねっ」
「だよ」 彼は言って自分の身体を見下ろした。
夏服だが、そのカッターの胸に校章が刺繍されている。特徴はそのズボンにあった。
靴のかかとを地面につけ、つま先を持ち上げる。鞄を前にぶらつかせた。
それも学校指定だ。
「で?」 彼は言う。
「私 受けるの」
「君? ああ 中等部ね。6年生?」
「5年。でも夏休みも毎日塾だったよ。去年からそうだよ」
「では来年の夏もって事。大変だね」
「けどっ いい学校なんでしょ」 私は言った。
会話を続かせるための媚びでもあった。自分の学校をよく言われて怒る人はいない。
だが彼は顔を歪めた。それは笑顔であったのだが、楽しそうには見えなかった。
「いい 学校 ね」 彼は私を見るために引いていた顎を上げた。
つられて私も上を見る。
9月だが、空はまだ夏空だ。青い。ああ。青い。私は雲を見た。
ゆっくりと動くそれを追っていて、彼の動きに反応が遅れた。
門の中に戻ろうとする彼の袖を、私は掴んだ。
「何?」 彼は意外と、おっとりとした雰囲気で訊いた。
それが救いだった。私に彼を引き止める理由などなかった。
「僕は高校からだから 中学受験の秘訣なんて教えられないよ」
高等部の受け入れもあるが、狭き門だと聞いていた。
そもそもが中高一貫で教育指導をしているので、入ってからが厳しい。
「そっちこそ大変じゃない」
彼は笑いながら「小学生に心配される程じゃあ ない」と言った。
私の手を取ってシャツの袖から指を外した。私はそこでバイバイと言われると思った。
だが彼は「今日は? 塾は」と訊いた。
まだ時間はあった。行く前にどこかで何か食べようと思っていた。
母はパートで家にいない。その日は食事の代わりにお金が置かれていた。
「7時からだもの」
彼は建物に向かって歩き出す。私は後をついていった。
扉のところでも彼は帰れとは言わなかった。一緒に入る。
古びた建物の中はひんやりした空気が流れていた。
「裏庭に木が植えてあるから 涼しいんだ。僕の家はここだけど」
ドアに鍵を差し込む。
「上がってもいい?」
鍵が回る。「君がいいならね」
短い廊下をまっすぐに食堂に入る。テーブルに鞄を置き、彼は奥の部屋に消えた。
私は勝手に椅子に座り、室内を見回す。
建物が古いというだけではない。どこか殺伐としていた。
Tシャツとジーンズに着替えてきたが、雰囲気はあまり変わらない。
「さて」と腕まくりのふりをする。「何か食べる?」
「え?」
「7時から10時くらいまで だろう 塾」
彼は心得ていた。大抵の子は夕食を済ませて来る。帰ってから食べるならそれは夜食だ。
「僕のついでに作るよ。食べられないものは?」
「グリンピースとしいたけと ……ちょ ちょ」 私は腰を浮かせ、片手を振った。
「肉は何でも?」
「作るの?」 彼を指さす。
「作るの」 彼は頷く。
「お母さんは? あ 仕事?」
「ここは独身寮」
「だからあなたがいるって? 冗談」
「でもないんだけどね」 背中を向けて冷蔵庫を開ける。
彼は実に手際よく作業した。
私は料理などした事はなかったが、動きに無駄がない事は分かった。
流れるようと言えば伝わるだろう。
「すごいね」
「すごいさ」
彼はサラダを出した。グリンリーフの緑と生ハムのピンクとスクランブルの黄色。
その上にプチトマトを乗せた。
鶏肉を焼く。冷凍庫からご飯を出してレンジに入れた。
全部並べると彼もテーブルに着いた。
「インスタントだけど スープ要る?」
「ううん」 私は早く食べたかった。空腹だからではない。味が知りたい。
人の家でご飯を食べるなんて普段ない事だし、何よりそれは高校生の手料理なのだ。
いただきますもそこそこに頬張った。
「おいしい」 
色も衣もついていない鶏肉は、私の知らない味がした。



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by officialstar | 2012-08-25 11:41 | DOLL