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烏鷺

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星を問う 9

青木は遠くをぼんやり見ているようだった。
どこかにいる誰かを見ているのかと君子は思う。
「高校の時の知り合いにね」 青木が話し出した。「会った」
いつ? どこで。誰? 君子は黙っている。
「きれいになってた」 女性だ。
「いつだったかな。就職して 何年だったかな。仕事楽しそうだった」
空になったグラスを君子が置くと、青木はボトルを持ち上げた。
何も言わず放っておく。
「結婚は と訊いた」
出かかった質問を君子は呑み込んだ。
「彼女はしばらく考えて しない と言った。それからすぐに まだ と。
そして彼女は僕に訊いた」
青木の期待を察して君子は口を開いた。「何て?」 声が掠れていた。
「愛情って変わる?」
君子に向かって直接問うような口調だった。君子は動揺する。
「変わらない愛があるのなら 結婚してもいい」 青木は効果的に間を開けて、
一呼吸後に続けた。「彼女は言った」
「それで何て答えたの」
「同じだけしか人生やってないのに 彼女に分からない事が
俺に分かるわけがない。女性の方が早熟だろう? 
答えられないでいると彼女は ほらね って引いた。誤解されたんだ。
彼女は言う。彼女の両親は とてもいい感じに恋愛して結婚したらしい。
共通の趣味があって 音楽だろうね 彼女たち姉妹の名前がそんなだから。
理解し合って結ばれた筈なのに。両親であるその夫婦の間に愛は見えなかった。
満たされている人間ならば 自然と溢れる豊かさを 両親には感じられなかった。
むしろそれは姉から受けたと」
「兄弟がいたんだ」
「歳の離れた姉さんがいて 親の反対で結婚を諦めたと言っていた。
諦められるのは それも愛なのかと 彼女は言った。
対等に結婚したのに相手の目線を得なかった両親と
恋愛の末に 別れてしまった姉。
妹はひらひら花の間を飛び交うけれど 着地する場所は持たない。
結婚なんてつまらない。恋愛なんて信じられない。仕事は自分を裏切らない」
「それは全部彼女の言った事?」
「俺は結婚も恋愛も 真面目に考えた事なかった」
呑み込んだ質問を口から出した。「その人が好きだった?」
青木は驚いたように首をまっすぐにした。
「いいや。どちらかというと その妹の方に惹かれていた」
「妹? ひらひらの?」
「双子だから同い年なんだ。そっくりなのに雰囲気が全然違う。
遊ぶなら楽しい方がいいと思っていた。実際何度か誘った。高校の時ね」
「でも今気になるのは その彼女の方なのでしょう」
「いや?」 青木は可笑しそうな顔をして君子を見る。
君子の誘導尋問が的はずれだったのだ。「彼女が言ったこと だ」
人差し指で、グラスを置いた台の上を叩いた。
話を今に戻すためだった。
「理想だろう?」
「佳苗 たち?」
「理想に見えただろう。多分俺の方が知っている。
佳苗さんは料理が上手で 酒の肴を何品も揃えてくれた。
俺を接待し 甲斐甲斐しく小山内の世話をし 柔らかく笑って。
小山内は妻の料理を褒め 子供の面倒を見る」
青木の声は耳に心地よかった。律動が心を夢想へ運ぶ。
見てきた事のように君子は一家の姿を思い描いた。
だが。
うっとりとしかけた表情の陰りを、青木は見落とさなかった。
「小山内は いい男だ」
「浮気の言い訳?」
「そうじゃない。幸せな家庭を持った男にはない 色気があった」
「だから 言い訳」
「違う。実際にそうでも 浮気を疑わせた事はない。
彼の影は女の存在ではなかった。少なくとも俺の目にはそう映った」
「結婚や恋愛を真面目に考えた事のない人に何が見えるわけ」
「恋愛をしなくても女性とはつきあえる」
青木がさらりとそれを言ったが、君子は軽くは流せなかった。
知らずか、無視したのか、青木は先を続けた。
「幸福なのに 染まりきらない彼が 不思議で 魅力的で 気になったんだ。
あるいはそれがために 理想が保たれていたのかとも思った。
俺は知りたくて 小山内家に入り浸った」
「それが分かったら何になるの?」
君子の口調に揶揄を感じたのか、青木は真正面に怒って言った。
「結婚出来るじゃないか」
その口ぶりに酔いを感じた。子供っぽかった。
君子は「残念ね」と言う。「その夢が壊れたから 自棄になったんだ」
「自棄?」
「私と結婚した」
「自棄になんかなっていない。まだ終わっていない」
「理想の妻は死んで 理想の夫の浮気は暴露されたわ」
「まだ終わっていない」 青木は声を上げた。
君子の膝で悠斗の体が痙攣した。
そこで君子は悠斗が眠り込んでいる事に初めて気づいた。
青木を軽く睨み付けた。青木は悠斗の体を抱く。
ベッドに横たえ、布団を掛けた。髪を撫でる手の優しいこと。
「おやすみ」 君子が言った。
青木は柔らかくそれを繰り返し、それからそれが自分に向けられたのだと知る。
「グラスは明日 私が片付けるわ」 君子は言った。
青木が出ていくのを待って、悠斗の隣に潜り込んだ。



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by officialstar | 2012-07-16 10:22 | 星を問う