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烏鷺

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優奈 3


次の週も私は彼を待ち伏せた。
彼は私の姿を見ると黙ってその横を通り抜け、ドアを開けた。
肩越しに私を振り返る。
「君のお姉さんね」
「喋った?」
「いや。女子とは話さない。君に似てる」
「どうして君って言うの?」
彼は困ったように笑い、部屋の玄関を開けた。彼の私を呼ぶ声が聞きたい。
「何が面白くて来るの」
私は正直に「家に帰りたくないから」と言った。「今日はお姉ちゃんの帰りが遅い」
「どうして」
それは姉が遅い理由ではないだろう。
「うちね うち 離婚するかも知れないの」
冷蔵庫を開ける手が一瞬だけ止まり、彼はドアに顔を隠した。
戸棚からグラスを出し、先週と違う皿を出した。
「ねえ」
「うん?」
「離婚すると お父さんかお母さんがだけになっちゃうんだよね」
「そうだね」
彼は座って私の前にお菓子を入れた皿を押し出した。
「どうしよう」
お菓子を取るだけ取って私は彼を見る。
「どうしたいの」
私はお菓子を口に入れた。
最初の日の、彼のほかの家の家族の声が辛いという言葉を一緒に噛んだ。
寝室を一階に移した母は、あちこちに段ボールを置くようになった。
衣類や本などが中途半端に入れられていく。
一杯になったら両親は離婚するのだろうか。
中身が増えるごとに不安も増す。
姉は気づいていない。私には伝える勇気はなかった。
「嫌だよ」 私は言う。「でも仕方ないよ」
「どうして」
「お父さんが私たちを嫌いなんだもの。お母さんのことも私のことも」
言っているうちに悲しくなる。口に出すというのは不安を事実にしてしまう。
「カウンセラーがね」
私の顔を見て言い直す。
「前の学校に 相談に乗ってくれる人がいてね。その人が言うんだ。
おきてしまった事は子供の責任じゃない」
分からない。
「僕の弟は事故で死んだ。もともと体の弱かった母親はそれで神経をやられた。
僕は弟を助けられなかったのだろうか?」
私が話すのを彼は待ってくれなかった。
「僕は自分がどうしようもなかったと分かってる。少なくとも弟の死に関してはね。
母親にしても僕に何が出来ただろう? 僕は自分を責めたりなんかしていない」
彼は私が理解できていないと思っていた。
理解させる努力をしつつ、私が理解できないでいる事を願っていた。
語り口がゆっくりなのは私のためであるより、彼自身のためだ。
「でもね」 彼の声が変わった。
今度はちゃんと私に向けられていた。
「できる事はやっておくんだ。やりたいと思う事は全部やっておくんだ。
それでどうしようもなかったら 諦めるのはそれからでも遅くはない」
彼は間をおいた。
「分かる?」
私は困った。私に分かったのは自分が理解できていないという事だけだった。
「カウンセラーさんはほかに何て?」
彼はまたあの皮肉な表情を浮かべた。
「たくさん話したよ。忘れたよ。僕の味方だったけど 父さんは認めなかった。
父さんは僕を普通にして欲しかっただけだから」
「何が普通じゃないの? お母さんがいないのは だって お兄ちゃんのせいじゃないんでしょう」
口にして、また事実を思い知らされる。
親のどちらかを失った家庭は「普通」ではないのだ。
「それはたいした事じゃないよ 多分ね」
彼は私を慰めるように言った。
「特別な事じゃない そんなには。少し不便なだけでね」
「じゃあ 何が」
立ち上がり、私の方に回り込んだ。私は体を固くする。
まだだ。まだ帰れとは言わない。まだ肩は叩かれないだろう。
彼は私の後ろのドアを開けた。
ひんやりとした空気が頬を撫でていった。私は振り返る。
障子をきっちりに閉めた部屋の、薄暗闇の中、小さな白い顔が浮かび上がった。
昼間の、誰か傍にいる時間でなければ怖かっただろう。
だが私はすぐにそれが人形であると気づいた。
「弟」 彼が言った。
部屋に入り、抱き上げる。「弟 なんだ」
事故で死んだと彼は言った。
「ひどい事故でね」 彼は両手で人形の胴体を持ち、その顔を見つめた。
人形も彼を見ているようだった。そういう角度に保たれていたのだ。
「父さんは母さんに見せずにお棺に蓋をした。弟は布に包まれたままだった。
母さんに見せたら心臓が止まってしまうと心配したんだって」
私は震え出す。
話の内容なんて然程に頭に入っていなかった。
彼が怖かったのだ。淡々と他人事のように話す彼が怖かった。
「それが母さんの時間を止めちゃったんだ」
人形を抱き直し、障子の傍に寄った。
「父さんは人形師に頼んでこれを作って貰った。母さんの寿命は見えていた。
せめて一緒に葬り直そうと。分かるかな」
彼はまたここで声に力を込めた。
「母さんのお棺に入れようとしたんだ。入れて そして燃やそうと。
それでどちらも天国で幸せになれる。父さんはそう言った」
「でも」 それはここにある。
「だってね。弟は焼かれたんだ。焼け爛れて 死んだんだ。もう一度焼かれるなんてあんまりだ」
その必死な様相に私は身を竦ませた。胸が痛くて声も出せない。
彼は人形を抱き締めた。
「これは弟だ。僕が守った 僕の弟だ。人形なんかじゃない」
そうして長い事彼は人形を抱き閉めていた。
息を吐き、人形の頭から頬を離して、彼は私に言った。 
「これが 僕が普通でない 事だよ」




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by officialstar | 2012-06-30 16:47 | DOLL