烏鷺

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夕に綻ぶ 39

順子には先に電話で話した。順子は「そう」と言っただけだった。
一度会社に戻り仕事のだんどりをつけてから帰ると告げる。
「気をつけて帰って来てくださいね」
何気ない日常の言葉をただ丁寧に繰り返す。均は「うん」と応えた。
その乾いた柔らかさが心地よかったのに、その時は物足りなく感じられた。
もっと何か繋いで欲しかった。
誰かに、話したい。誰かに、言って貰いたい。
面会謝絶は救いであった。もう迷う事も決める事も要らない。
母は結局逃げたのではないか? 息子から受けるかも知れない罵倒、或いは冷ややかな無視から。
彼女が息子をそう決めたのならそれは彼女の問題だ。
均には何もなかった。責める言葉もいたわる言葉も何も。母が決め、母が拒絶した。
もうどうしようもないのだ。もう何も出来ない。
何もしなくていい。
玲子にそれを言って欲しかったのだと気づく。玲子から得られなかったそれを順子に求めるのか?
何を話す。どこから。
帰宅した均を、順子はいつもどおりに迎える。子どもたちはリビングから追い払われていた。
「お疲れね? お食事でいいかしら」
食欲はなかったが、食べ始めたら空腹であった。喉を通る温もりが気持ちよかった。
「私 着物持っていないの。和装の方がいいわよね? 葬儀会社で借りられるかしら」
「食べたら調べるよ。他に知りたい事もあるし。玲子から 何か聞いている?」
「葬儀会社は決まっているという事は」
食べ終わり、湯呑みを手に立ち上がる。
「コーヒー いれましょうか」
「いや すぐ終わるよ。片づけが済んだら おいで。一緒に見よう」
自室に入りパソコンを開く。玲子から聞いた葬儀会社の名前を入れた。
サービス一覧からエンバーミングを選ぶ。
医師や玲子から聞いた以上の事は得られなかった。
新たに分かったのはエンバーマーの名前と経歴ぐらいだった。
学術用語も並んでいたが読み解く根気もない。
薬剤を使うなど処置を施し遺体をきれいな状態にする。医学的にも美観的にも。
聞き慣れない言葉だが外国では普通にあるらしい。
諦めて式場の所在地や、祭壇の種類など見始めた。順子の言葉を思い出し、貸衣装も探した。
ドアがノックされ、順子が入ってきた。その手にトレイがあるのを見て、均は立ち上がる。
受け取りながら「よかったのに」と言う。
「私も飲みたかったの。薄くしておいたから」
順子をパソコンの前に座らせた。
均の言葉に耳を傾けるものの、自分からページを開く事はしなかった。
「別に……私は」 順子は両手を膝に乗せた。「私への気遣いは要らないから
おふたりで決めて進めて頂戴。何をしたらいいのかだけ 言ってくれれば」
「実際のところ 俺にも分からないのさ」
一度経験している順子の方が余程、と思ったが口には出せなかった。
「心配しなくて業者が全部やってくれるよ。なによりまだ……」
均にそれ以上言わせまいとするように、順子は立ち上がった。
「明日 子どもたちの服を見て来ようと思うの。
悟は入学式のスーツでも間に合いそうだけれど 瑛太は適当なものがないから」
「頼んだよ」
「あとは…… 思いつかないわ。玲子さんに相談した方がいい?」
「明日会う つもりだ。ああ そうだ 夕食は分からないから支度は要らない」
玲子は頷いて部屋から出て行った。
均はパソコンに視線を落とし、そしてそれを消した。
緩衝材の上を歩いているように、現実との間に何か隙間があるような気がした。
母親が死に瀕しているという事と、母親が死ぬという事は同一の事実でありながら重ならない。
葬儀の事を考えながら、迎える現実に自分を投げ込めないでいた。
祭壇は舞台でしかない。
だがそれは特別な事ではないと思う。
仕事関係で参列した葬儀で、当事者たちはそれぞれの役割を演じているように映った。
自分も、演じればいい。母親を喪った息子を。








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# by officialstar | 2015-02-28 16:42 | 夕に綻ぶ
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