烏鷺

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夕に綻ぶ 38

玲子から連絡が入った。
香澄が肺炎で病院に搬送され、危ない状態であると。
「私は今から行くけど……?」
行くべきだろう。均は「都合がつき次第」と応えた。
病院へと向かう間、均はずっと考えた。
母親に会う。意識はあるのだろうか? 均を見るだろうか。
声をかける? 何を言ってもそらぞらしい。かといってぶつけるだけのものも、ない。
玲子との情事と、彼女から聞かされた結婚の経緯と、
さかのぼれば自分が母親の人形でしかなかった事。
だがそんな母親を非難するだけの材料が自分になかった。
どんな訣別をしたいのか自分で決めろと玲子は言った。
訣別の必要があるのだろうか。均にとって母親はもういないも同然の存在だ。
この世のどこかにいて会わないでいるのと、永遠に会えなくなるのと、何が違う。
母親に会う。会わない選択もある。「したくない事はしない」
いや。均は逃げようとする自分を懸命に引き止める。
たとえ言葉が見つからなくても、会うべきである。そこで何か見つかるかも知れない。
答えを出さないまま今日まで来てしまったが、これが最後の機会なのだ。
母親に会う。
病棟は分かっていた。それまでも何度か入院した病院だ。
建物に入り、エレベータに乗る。その間にも迷いは生じる。
会いたくない。会わなくても、いい。
部屋を確認しようと詰め所に向かったところで、玲子に呼び止められた。
緊張が少し緩んだ。彼女と一緒になら、病室に入る事はさほどに難しくないのではないか。
だが玲子の口から意外な言葉が洩れた。
「面会謝絶?」 均は驚いて訊き返す。
玲子は均の袖を引き、人けのない場所へ移動する。
「重態だからじゃ ないの。確かに深刻な状況だけれど面会謝絶はそのせいじゃない。
香澄が そう希望したから」
「何だって?」
「少し待てば医師から話が聞ける」
医師の話で分かった事は患者の病状だけだった。
熱は高いが、意識はある。時々混濁しつつも、刺激には反応する。
「そのまま昏睡状態に入った場合」 均は問う。
医師は先を引き受ける。「当人の意思です。看取りは要らない そして」
カルテに目を落とし、だが実際にはその必要はないのだろう、焦点を合わせないまま読み上げる。
「エンバーミングをご希望ですね」
「えん……?」
玲子が頷く。「ええ」
均は玲子を見る。玲子は「それは聞いてる。手配は香澄が自分でした」と短く言った。
医師は均にエンバーミングの説明をする。だが均には理解できない。
遺体防腐処置。
葬儀の都合上、たとえば死亡後数日内の葬儀が不可能である、患者が深刻な伝染病である、
或いは事故で損傷が激しいなどの理由で行う処置であるが、それ以外の場合日本では一般的ではない。
「あとは業者がやってくれるわ」 玲子は言う。医師に答えを求めようとする均を宥めるためだった。
「危篤というわけではありません」 医師は言った。「持ち直す可能性もゼロではない」
病室に入れない以上、帰宅して連絡を待てという事なのだろう。
立ち上がった玲子につられて均も腰を上げ、医師に礼をする。
医師は、気まずそうに小さく礼を返し、目を合わせようとしなかった。
面会謝絶は彼のせいではないが、責められているような気がするのだろう。
「どういう事だ?」
廊下に出るなり均は訊いた。
「説明のままよ。サービスに組み込んでいる葬儀会社があるのよ。そこに事前に申し込んだ。
だからお葬式もそこで出す事になるわ」
「葬儀……」
「今日は帰りましょう。明日 その葬儀会社のパンフレットを見せてあげる。それとも今夜調べる?」
玲子は社名を言った。
「順子さんとも相談しておいた方がいいわね。喪主はあなたで 順子さんはその妻だから」
「君は」
「手伝いはするわ。でも あまりあてにしないで頂戴。無理はきかない」
「待って もう少し 話したい」 均は玲子の腕を掴み、時計を見た。
だが玲子は腕に掛けられた均の手をそっと外す。
「疲れたの。帰りたいわ。言ったでしょう 無理したくないの」
押さえつけるように発せられたその言葉の意味を、均は拾えなかった。
突然の事態に混乱したまま玲子の後を追う。









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by officialstar | 2015-02-25 09:44 | 夕に綻ぶ
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