烏鷺

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夕に綻ぶ 37

予定通りに日程をこなして帰宅すると、順子の熱は下がっていた。
子どもたちが買った土産で喜んだ後、大量の洗濯を始める。
日常に戻る。
均はそれきり坂下の夢を見なくなった。


秋の連休の遠出に玲子を誘ったが、約束があると断られた。
もしかしたら「父親候補」の男性とだろうかと均は思う。
順子にそれとなく探りを入れるが、何も聞いていないようだった。
四人の外出に不足は何もないのだが、どことなく納まりが悪い。
それは順子も感じたようだった。時々振り返っては、首を傾げて向き直る。
子ども一人に母親一人の図式も狂う。均の立ち位置が変わる。
俯瞰の足場を奪われて、瑛太の横に舞い降りる。
年齢からいっても性格からしても大人の手を煩わせるような子どもではない。
だがそれが却って均を引かせる。自然な話題が出てこない。
悟は次から次へとくだらない事を思いつき、それで周囲を笑わせたり怒らせたり呆れさせたりする。
均が瑛太を持て余していると見抜いてか、順子は悟を押し遣り瑛太を引き寄せた。
「この子の相手は体力が要るわ」と悟を示して言う。均は立ち上がり悟の後を追いかける。
帰り道「次は来てくれるかな」と悟が呟いた。玲子の事だ。
悟の、玲子の呼び方はくるくる変わった。最初は瑛太を真似て「お母さん」だった。
だが自分と玲子はその関係にないのだと知り、「にいママ」になり「おばちゃん」になり、
突然「玲子さん」になった。暫く、その大人びた響きを愉しんでいたようだが、
今度は順子を「お母さん」と呼び換え、玲子を「ママ」と呼ぶ。瑛太の逆になったのだ。
その擦れ違いを面白がっているようだった。
玲子はどう呼ばれても返事をする。一度からかうように「玲子!」と呼んだが、それにも応えた。
その「ママ」がいないと悟も物足りないらしい。
誰も呼応しないと「ねえ?」と悟は注意を引き「来るかな」と繰り返した。
瑛太は曖昧に首を振る。彼こそが一番に求めて然るべきなのだが、反応は薄い。
順子への気遣いなのかも知れない。順子は「お願いしておこうね」と言った。
「彼女にも 都合があるだろう」 均は言った。
頭には「父親候補」の存在があった。
彼女が別の男性と共に過ごしているかも知れないという事実に、
不思議と均は嫉妬を覚えない。
玲子が別の男に抱かれる事。その男の子どもを宿す事。
彼女を自分の領域に留めたいという思いはあっても、それとは別次元らしい。
むしろ彼女が早く目的を達成する事を望んだ。
自分だけが「家族」を手に入れた事に対する罪悪感だろうか。
男としての玲子に対する責任を誰かに肩代わりして欲しいのか。
「そうね」 順子はぽつんと言った。
その声が均の中に空洞を作った。寂しいという感情。置き去りにされる思い。
玲子が我が子を得るという事は、瑛太も悟も彼女にとって他人になるという事か。
結婚はしないと言ったが、子を産めば情も湧くかも知れない。父親が欲しくなるかも知れない。
たとえそうでなくても、自分の家族が一番になるだろう。均も順子も子どもたちも、二の次になる。
均はぞくりとし、その不安を払いたくて、共有して欲しくて、思わず口を開いていた。
「仮に」
「え?」
いや、と唇を噛む。
そんな形で自分の弱さを順子に曝け出したくはない。
家族内における妻として母としての順子に不足はないのだ。
「玲子さんが来なくなるなんて 嫌よ」 順子が言った。
順子が代弁してくれた事で均は楽になる。
覚悟はしておかなくては、と自分を諌める言葉を、順子に対してなら言えそうな気がする。
だが、口をついて出たのは「どうして」という問いだった。
「どうして? 玲子さんがいないなんて変だわ。玲子さんは私たちに必要でしょう」
必要? そんな筈はない。彼女の介在を計算に入れて始めた生活じゃない。
自分たちは自分たちだけでやっていける。父親と母親と子どもたち。
「ごめんなさい」 均の沈黙に、順子は言った。
順子は代弁しただけなのだ。謝ることはない。
しかし均はそれを伝えられなかった。





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by officialstar | 2015-02-21 17:45 | 夕に綻ぶ
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