烏鷺

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夕に綻ぶ 35

最初のグラスをあけるまで、会話はなかった。
均は二杯目を注ぎながら、問う。
「子どもが欲しいと言っていなかったか」
「ええ。でもどうして」
「俺らにつきあってばかりじゃ その暇もないだろう」
玲子はグラスに口をつけ、舌の上に転がすように黙っている。
それを喉に送り、「そうでもないわ」と言う。「ちゃんと進行している」
「父親候補と という事か?」
「そうね」
「結婚するのか」
「しないわ」 玲子はグラスをテーブルに置いた。「たくらんでいる事も言わないの」
「妊娠しても黙っていると」」
「父親は要らない。ただ」
「ただ?」
ううんと玲子は首を振る。「どうして訊くの」
何故? 均は自問する。沈黙が重かっただけじゃない。
「君は……その 今でも」 言い掛けて、それが本当に知りたい事かどうか分からなくなった。
訊くまでもない事なのかも知れない。
「女性が好きよ。順子さんも好きよ」
「おい」
「手は出さない。今は 今の関係がいいの。彼女はねえ 性愛の対象じゃない。
私が産んで育てて その先に彼女と交わる時が来るならばいい とは思ってる。
交わるって生々しい意味じゃなくてよ? それも含まれるけれど もっと大きな意味よ。
でも彼女がそれに応じるかどうかは分からない」
順子は性的にはノーマルで、しかも祥吾を今でも愛している。
均は自分を納得させるように噛み締め、知らないうちに頷いていた。
玲子にはそれで全部伝わってしまう。
「私ね 順子さんが私に拘ったのは あなたと深い仲になる事を避けるためだと 最初思った」
「……ああ」 少し尻上がりに相槌を打つ。
そう感じた事もあった。そして実際にそうだろうとも思う。
頑なな空気は今でも残る。
「人は変わるわ 変わってもいいと思うわ。私だって香澄が最後の恋人だと信じた時もあった。
瑛太を間に 関係を変えながら それでも最後まで家族でいられると。
でもそうじゃなかった。でもそうだからといって間違ったわけじゃない。
今 別の誰かに惹かれたとしても その時の自分を恥じたり悔いたりはしない」
均は黙っている。玲子は一度窺うように彼を見たが、すぐに視線を外す。
「私がそう思えるのは その時の自分が真実自分だと信じられるから」
「順子がそうじゃないとでも」
「そんな気がする。順子さんは自分が祥吾さんへの気持ちを守り続けなければならないと
盲信に近く思い込んでいる。いいえ 自分に律している」
「マンションを出たのも そのため? その時に言っていたな……思い出にする?」
「そう。その時は 気持ちを切り替えて歩き出すという意味だと思っていた。
でも彼女の場合は違うのかも知れない。変質させないために箱にしまう。固定する」
「よく分からない」 均は正直に言う。玲子が何を言いたいのか、順子が何を考えているのか。
玲子は「そうでしょうね」と言う。分からせようとするつもりもないらしい。
所詮自分の憶測に過ぎない。
「不思議なのよ。一緒に暮らせば情は湧く。男と女ならばもっと距離が近くなってもいい筈。
あなたは男として悪くはない条件で 順子さんは可愛らしい女性だわ。
どうして何もないままでいられるの?」
突然矛先が自分に向いた。均は咄嗟に躱せない。
「それほどに順子さんのガードが堅い?」
「あ ああ」
自分たちが原因で均が女性に反応しなくなったとは思いもよらないのだろう。
これを機会に同性への感情と性愛の境界を問う道もあったのだが、踏み出せない。
「彼女をそういう対象には出来ないと言っただろう」
「人は変わっていいのよ?」
「好きだよ。家族だ。好ましい女性だ。でも 衝動はない」
「私の場合は私自身の抑制も手伝っている。今彼女を口説くわけにはいかない。
あなたも?」
「確かに今の空気を壊したくないとは思っている」
それ以上追及はされたくなかった。
グラスを傾ける。玲子がボトルを持ち上げたので、全部を飲み干した。
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by officialstar | 2015-02-12 17:24 | 夕に綻ぶ
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