烏鷺

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夕に綻ぶ 26

何度となく繰り返した物件の検索を、その日もやっていた。
引っ越し先がなかなか見つからない。
仲介業者にも頼んでいるのだが、送られてきた候補は内覧するにも及ばない。
漠然としたイメージだけで探しているからいけないのだと言われ、自分でもそう思う。
予算の上限が上がった事が絞り込みを更に難しくしている。
ホームが欲しい。希望はそれだけだった。
今の場所からあまり離れないところ。
スクロールを続ける指が止まった。
間取り図の中央を占めるリビングに目を惹かれ、所在地を確かめた。
見覚えのあるマンション名に、ぎくりと詳細を見直す。
階数や間取りの記憶を辿り、家主に交渉してつけたというオプションを思い出し、
間違いないと確信に至った。
その物件は紛れもなく、坂下と均が暮らした部屋だった。
均は考えもなくマウスを滑らせ、指を動かした。
開いたフォームにアドレスを打ち込む。
送信後に我に返った。
だが妙な興奮で霞んだ意識は、打ち消す事も深く考える事も拒んだ。
まだ決定じゃない。自分に言い聞かせつつ、だが自分が決めてしまう事も分かっていた。

均の言葉は、順子には意味のあるものとして伝わらなかった。
順子は、均の喋り出そうとする気配にいつものように首を傾げた。
均が語る間、微かに笑みを湛えた口元も見開いた瞳も変わらない。
言うべき事を言い終わった均が黙った数秒後に、続きはないのかと「え?」と訊き返した。
「だから」と均は言う。「瑛太の母親になって欲しいんだ」
「はい?」
「悟にも父親は要るだろう」
順子の目が瞬きをやめた。
表情には何の変化も見られなかったが、その奥で思考が一周したのを均は感じた。
「婚姻届を出したい」 均は重ねる。率直に言えば「結婚して欲しい」なのだが、
均は違和感があって結婚という言葉を使えない。自分が望むのは、実際にはそうではない。
「でも」と順子は言う。
「子どもたちに 父親と母親を揃えたい。生活の上でも法的にも。それだけなんだ」
均は繰り返す。
直接的に言うべきだろうか。「夫婦」になりたいのではない。
順子は変わらず祥吾を愛し続ければいい。幾らかの信頼と依存を均に移してくれればそれでいい。
均は庇護と経済的支援でそれに応える。
「妻から ……元妻から 息子を引き取ろうと思う。だがひとりでは育てられない」
「ええ」
「だから君たちと家族になりたい。結婚という言葉を使わないのは これが男女の話ではないからだ」
順子はじっと均を見つめる。理解はその瞳の奥で進んでいる。
やがてその目が伏せられた。
積みあげたものが、均の中で崩れ落ちる。順子はゆっくりと一度首を振った。
拒絶よりも当惑だ。だが再び均を見た瞳には、明確な意思が光となって宿っていた。
唇が動く。均はそれを遮った。
「謝らなくていい。謝るのはむしろこちらだろう」
「いえ」
「でも言わずにはいられなかった。君には荒唐無稽に思えるだろうけれど 最善の方法に思えたんだ。
勝手かな? 玲子……玲子と言うんだが 彼女が養育を放棄すると言うから」
「え?」 順子が慌てたように顔を振った。
「いや 施設に預けるとか そういう事態にはならない」
順子の境遇を噛み締めながら丁寧に言う。自分の母親が引き取る事を告げる。
ならば彼が親元に戻れば済む話なのだが、均は自分にはその気が全くない事を伝える。
「傍目に正しく機能しているように見える家庭にも いろいろ なんだ」
「じゃ じゃあ どうするの」
「ちゃんと考える。この案は少し安直だったね。
子どもを抱えた男と女がいるから一緒になれば家族だ なんて乱暴な話だ。
父子家庭で頑張っているところは いくつもあるのだから 不可能なわけじゃない」
均は順子の腕を握った。
「この話は忘れて これからも同志としてつきあって欲しい」
順子は頷き、その顔を上げ切らず上目に均を見て言った。「怒っていない?」
全然と言い掛けて均は「少しね」と言った。
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by officialstar | 2014-11-15 10:57 | 夕に綻ぶ
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