烏鷺

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夕に綻ぶ 25

「それで あなたの方の用件は?」 玲子は口調を変えて訊いてきた。
均は忘れていたそれを、思い出す。
「瑛太の…… 離婚の取り決めを何もしていないが 子どもとの面会をどうしたものかと」
「会いたいのならいつでも? でもこれからはお義母さまに言って貰う事になるわね」
「え?」
「別れるって言ったでしょう」
「え?」 均は馬鹿のように繰り返す。
「瑛太はお義母さまが手放さないわ。私もひとりで苦労してまで育てたいとは思わない」
均は玲子の顔を、ただ眺める。その表情に何を読み取ったのか、或いは読み取れなかったのか、
玲子は苛ついた声で続けた。
「ええ そう 私はもう瑛太を愛せない。瑛太も 香澄も」
それでも尚均は何も返せなかった。
「話さないと分からないかしら? 香澄は瑛太に執着しているし 瑛太はすっかりお義母さまのものよ。
私の居場所はないの。瑛太があなたの代わりに育っていくのを眺める事にもうんざりよ。
新しい恋人を見つける」
「瑛太は君の子どもだろう」
「さあね どうだったかしら。あなたの子である事も疑わしくなって来たわ」
置かれた料理に玲子は乱暴にフォークを突き刺した。
だが、そこで動きを一度止め、静かに口に運ぶ。
頬も動かさず咀嚼し、ワイングラスを持ち上げた。
「あなたが望むのなら瑛太に会うのがいいわ。出来るだけ早いうちに。
私はまだ別れ話を口に出していないし 瑛太を連れ出すのは容易だわ。
瑛太があなたに会いたがるかどうかまでは 分からないけれど」
「覚えていないだろう」
「当たり前じゃない」 玲子は心底可笑しそうに笑う。
そして再び、均に早く食べろと身振りした。
給仕が歩み寄り、玲子のグラスを満たす。
「いつがいい?」 玲子が訊いた。事務的な厳しい声だった。「次の休み?」
「待ってくれ」 自分が本当に会いたいのかどうかも、まだ考えていなかった。
順子が会うべきだと言い、そのお膳立てを試みてみるぐらいのつもりだった。
「今月中には」
「それがリミットね 多分」
玲子は話題を打ち切り、均の仕事の事を訊いた。私生活には触れない。
均は玲子の職場の話を聞く。結婚前の会社に復帰できたと言う。待遇も悪くない。
自分の妻であった期間より魅力的に映る。その一方で神経質な線の細さが目立った。
最初から期待していなかった夫には不満は感じないが、
恋人との、思うようにいかない生活には耐えられないようだった。
「母さんを愛していた?」 口にしてから、その奇妙さが舌に苦く残った。
「ええ 香澄を ね」
給仕がデザートの乗ったワゴンを押してきた。玲子はそれを断ってチーズを頼んだ。
均はゆっくりと小さなケーキを定める。
「あなたは 私を愛していた? 少しでも?」
「君のする質問じゃないな」
「答えが分かっているから訊くのよ」
「好きだったよ」
だがそう言えるのは彼女を愛してはいなかったからだ。
愛していなかったから傷つく事もなかった。
玲子は微笑んで頷いた。「私も」
均は食後にコーヒーを選んだ。玲子は紅茶の銘柄を問う。
「瑛太を愛していた?」 均は訊いた。
玲子は目を見開き、少し時間をとって答える。「分からなくなった」
均は訊き返される事を恐れて、質問した事を後悔する。
だが玲子は訊かなかった。
「母性愛って 愚かな女ほど簡単に自認出来る気がするわ」
「じゃ 君には無理だ」
玲子は諦めたように、笑う。自分が愚かでない事を呪うように。
彼女が自分の知性を正面に認める事は初めてであった。
と同時に卑屈な表情を浮かべるのも、それを均に見せるのも初めての事だった。
沈黙のうちに卓上の器はすべて空になった。
均は指を挙げて、勘定を済ませる。
店を出た後、玲子は札を小さく丸めて均の手の平に滑り込ませた。
拒もうとする均に「私たちは もう そういう関係じゃないわ」と言った。
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by officialstar | 2014-10-25 11:38 | 夕に綻ぶ
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