烏鷺

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夕に綻ぶ 22

マンションに戻り子どもをベッドに寝かしつけた。
均はお茶の支度をする。順子が買って来た品を冷蔵庫などに収める。
「あの子 あの人に似ている」
「そう?」
「私には似ていないと思わない?」
「赤ん坊の顔なんて 分からないよ」
「そんな事ないわ」 順子はきっぱりと言う。「あの子は父親にそっくり」
遺影や、アルバムで見た祥吾の顔を思い出そうとする。
仮にその人に会えばその人と分かる気はする。だが赤子と似ているかどうかは分からない。
「あなたの子は」
ぎくりと、カップに伸ばした手が止まった。
「どちらに似ている?」
順子には、それを糸口にしようという思惑は覗えなかった。
ただ純粋に訊いているだけなのだ。均にもはぐらかすつもりはなかった。だが。
答える言葉は見つからない。
覚えていない。何も。今思い出して、夫婦それぞれの面影と重ねようとしても、
瑛太の顔も仕草も浮かんでは来なかった。
「分からない」
その虚ろな響きに、順子は追及をやめた。話題を打ち切り、作業を終える。
「会ってないんだ」
「そう」
「妻とは別れた」
「そう」
「連絡は一切ない」
「子どもの写真は?」 携帯にすら一枚も?
ない。
「怒った?」 均は問う。
「いいえ」 順子は言うが、横顔に壁を感じたのはその時が初めてだった。

段々と身体がしっかりしてきて、椅子などで支えれば座っていられるようになる。
顔立ちもそれまでと違って見える。それが紛れもなく人間のものだと再認識させられる。
不思議なもので水平状態だとそれはあくまでも「赤子の顔」である。
均は祥吾のアルバムをもう一度見せて欲しいと頼む。
記憶の上書きをしながら、均はそこに悟を重ねようとする。
そしてふと「ああ」と思う。そうか。こういう事を言うのか。
祥吾の中に悟がいた。どこがというのではなく、ただ似ていると思う。
気づいたら順子が横に来ていた。
前の時は辛くて見る事が出来ないと言ったが、座り込んで覗いている。
「これ」と均が指差す。
「ええ」と頷く。「そう 本当にそっくり。表情が そのままね」
「話して」
「何を」
「彼のこと」
祥吾は順子と違い、親の顔を全く知らない。乳児の時にはもう施設にいた。
一番古い記憶が、乳児院から移された養護施設の階段だと言う。
何もかもがいきなり大きくなり、その象徴が階段だったらしい。
両手をつかなければ昇れないような段差が、子どもの目には天まで続くほどに映る。
人生の最初に知った絶望だったと、祥吾は笑って語ったと言う。
そこから小学校の入学まで殆ど覚えていない。
均は数枚の写真に成長を追う。傍目には剽軽にさえ見える、緊張した真面目な顔の祥吾。
「悟もこうなるのかな」
「あら嫌だ これではあまりに野暮ったい」 順子は言って笑い出す。
笑いながら、涙を拭く。
「片づける?」 均は気遣った。
「どうして? 悟がぐずりだすまで見ていましょう」
施設には順子のように親が健在な者もいる。年末などに外泊をする。
祥吾はその準備をする同室の男子を羨ましく眺め、見送る。
じきに羨望は憧れに変わり、寂しい正月の中で少年は温かな家庭の夢を見る。
祥吾はそれを知らないが、思い描くのは自由だった。
大抵の場合、外泊から子どもたちは消沈して戻る。
愉しい時間を過ごしたならば、それがいっときのものである事に、
しかし順子のように期待を砕かれて、打ちひしがれて帰ってくる。
いっそ何も知らず、幻想を描くだけの祥吾の方が幸せだったかも知れない。
「理想が 理想のままで あの人は本当に優しかった」
美化といえばそうだろう。だが順子のたおやかさを見ていると、それが真実に思える。
「強い人だ」
「そうね」
前よりもずっと熱心に丁寧に見ていく。
傍らで順子が思い出を語る。均はそれを聞いていたりいなかったりする。
均の中の祥吾は、やがて順子を離れて育っていく。
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by officialstar | 2014-10-06 09:58 | 夕に綻ぶ
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