烏鷺

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夕に綻ぶ 20

男児だった。身長も体重も標準だった。均は会社で連絡を受けた。
軽く夕食を摂ってから病院に行く。母子同室だった。
赤子は時々空気をしゃぶり、泣きそうになりながら起きず、眠り続ける。
その様を暫し眺め、均は順子に向き直る。
「黙って帰って申し訳なかった」
「とんでもない」 順子は首を振る。
そう返ってくる事は分かっていた。均は続く言葉を言いたかったのだ。
「自分の子の時も病院にいなかったのに いるわけにはいかないと思ったんだ」
しかしそれは嘘だった。
その時も今も、自分は居たくなかったのだ。居合わせたくなかったのだ。
己れの本心を包み隠し、均は明かさなければならない事実を伝える為にそう告げた。
順子は僅かな間の後、小さく頷いた。それはまるで痙攣のようでもあった。
均はほっと息をつく。
「それは」 順子は言った。「いけない事だわ」
最初それを、自分の言った言葉通りの意味だろうと均は思った。
だがふと。妻の出産に付き添わなかった事を言っているのだと気づく。
心細かったのだろう。夫が居てくれたらと思ったか。
均は、俯いたまま所在無く腕を擦っている順子を見下ろす。
順子は言わない。責めない。求めない。
妻の時は均の母が一緒だった。
均は入院の知らせを会社で聞いた。玲子は香澄を呼んで病院に行った。
陣痛の間もずっと香澄が付き添い、均が退社して行った時にはもう生まれていた。
母がいようといまいと、事情を言えば会社は早退を許しただろう。だが均は申し出なかった。
知らないうちに知らないところで終わってくれる事を望んでいた。
玲子もまた夫のを必存在を必要としていなかった。
しかし。順子は違った。傍にいて手を握ってくれる人を求めていた。
その経験が「いけない事だ」と言わせたのだ。
「そうだな」 均は言った。順子の肩に触れ、「頑張ったね?」と言う。
「大変なのよ」 順子は顔を上げて快活な声で応えた。「本当にもう」
一度は一分を切った陣痛の間隔がまた延び、想定より長引いてしまったのだ。
それでも難産に比べればずっと楽だと言うが、自分にあるのは自分の痛みだけだ。
過ぎた事だから言えるのだろう。順子は産む事の大変さを力説した。
その最後に均への感謝を告げた。その援けがなければこんなものでは済まなかったと。
「何か居るものはない? コンビニで買えるものなら今からでも」
「別に」
「明日でよければ何か」
「何も」 順子は言う。「ありがとう 充分よ。今日はゆっくり寝て。疲れたでしょう」
「いや」 不思議と眠くはない。
「帰ったら きっとぐったりだわ。本当にごめんなさい」
「力になれたなら それでいい。関わらせてくれて ありがとう」
順子は口を開きかけたが、赤子が声を上げ、注意はそちらに向く。
泣くというほどの力はなく、呼び掛けているようだった。
ベッドから降り、ケースの中から子どもを抱き上げる。均を見て「抱く?」と問う。
均は首を振る。「授乳かな? 用がないのなら 帰るよ。週末また来る」
「無理しないで」
「しないさ」 ドアまで行って振り返る。「君も」
順子は不思議な程に慣れた手つきで赤子を抱いていた。
その細い腕に力強さを感じ、均は目を逸らす。そして部屋を出た。


退院に合わせて有給をとった。病院に迎えに行く。
名前を決めたと言うので、その日のうちに役所に届けた。
木崎悟。
予期していたような名前だった。
マンションに落ち着き、買って来たもので昼を摂った。
「週末にまた来るけれど 当座の食糧とか買ってくるよ。書き出してくれないか」
迷うように首を振る順子にメモ用紙をつきつける。それを持って車に向かう。
リストの他に、均は思いついたものも買い足した。シチューを作り置きしていこう。
買物をして戻ると、リビングに順子の姿はなかった。
ベビーベッドが寝室だから、そこで休んでいるのだろう。
均は冷蔵庫に食料品を片づけて、シチューを作り始めた。
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by officialstar | 2014-09-28 16:06 | 夕に綻ぶ
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