烏鷺

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夕に綻ぶ 18

自分にその資格があるのか。
均は我に返って己れに問う。
自分が相手と同じ重さで相手を捉えなかったせいで坂下を傷つけた。
孤独を埋める為だけに他者を求めては、また同じ事を繰り返す。
今度こそ、それは取り返しのつかない事になるかも知れない。
順子は寡婦で、身重で。そして恐らくは頼れる係累もないに等しい。
会いたい衝動だけで訪問を重ねていいのか。
相手の依存が傾いた時、支えきれる自信があるのか。
会いたいのではない。均は思う。一緒にいる事が楽しいのではない。
孤独を埋めたいのでもない。共に過ごす間、確かに孤独は薄れるが、別れた後の寂寥は変わらない。
坂下を思い出せば切ない。後悔する権利もないと分かっていて、それでもそれは押し寄せる。
何もかも承知でと坂下が許してくれるのなら、あの生活に戻りたい。
順子は坂下の代わりにはならない。
会いたいのではなく、会わなければならないと心がざわめくのだ。
それは欺瞞か? 身勝手な解釈か。
均は、まるで順子がそうしているかのように、膝を抱えて闇を見つめる。

そして次の週末もまた均は順子を訪れる。待っていたとは言わず、順子は薄化粧で均を迎える。
ぽつりぽつりと語る。
親がいないわけじゃない。兄もいる。しかし自分は施設で育った。自分だけが施設で育った。
何度か親元に戻そうと周囲は試みた。自分もその日を願っていた。
服を選び、挨拶を暗記し、親が迎えに来る日を待った。
次こそは今度こそはと、それは自分だけじゃない、親たちも期待して試みた。
何が悪かったのか、今でも分からない。
親を恨んではいないが、未練もない。夫と出会い、それが自分の人生だと受け容れられた。
夫も施設育ちだ。高校まで別の施設で過ごし、寮に入って働きながら夜間大学に通った。
ふたりの生い立ちを聞き、均は眩暈を覚える。
想像した事もない境遇。およそ現実味がなく乖離は激しくなる。
均は知らず、順子の手を握っていた。
慰めでもない。好意でもない。順子は黙ってその上に手を重ねた。
均の滑らかな手の甲を撫でている。
そして両手で持って目の前にかざす。
「細い指ね。男の人でも 全然違うのね」
「祥吾さんは」
「関節が太いわ もっと大きな手よ。もっと硬い手よ。でも」
掌を頬に当てる。
「うふふ あなたの手の方が気持ちいいのね」

出会って二か月が過ぎていた。
順子はマタニティドレスを着るようになり、産着の支度など始めた。
笑ってしまう程小さな肌着を均に見せる。
均はそれらを知っている筈だった。そういったものに包まれた我が子を抱いた筈だった。
しかしその記憶は残っていない。
別れてから殆ど瑛太を思い出していない。
両掌の上に広げた肌着を見ながら、脳内で懸命に瑛太の顔に焦点を合わせようとする。
「何? どこかほつれていて?」 順子が横から手を伸ばした。
いやと口の中で言い順子に返す。「変な人」と首を傾げるが、それ以上には踏み込まない。
順子は均に何も訊かなかった。均も自分の事は話していない。
話の端々から一人暮らしである事は伝わっているだろうが、離婚の事も子どもの事も知らせないままだ。
順子は頓着しなかった。週末だけとはいえ、待つ相手がいる事が大切なようだ。
別れる時はいつも「ありがとう」と言う。決して「またね」とは言わない。
約束はない。均は電話番号を渡したが、掛かってきた事は一度もない。
いつ終わりが来ても平気。順子の態度はそう告げていた。
それでも均は通い、順子は笑顔でそれを出迎える。
亡夫の記憶を均はひとつずつ積み上げていく。
高校卒業後勤めた先は工務店で、二年後夜間大学に通い始めた。
建設関係かと思いきや、経済学部だった。
半ばで経営者から先行きが危うい事を聞かされ、資格を幾つかとった。
それが幸いし、卒業後取引先に事務職として採用された。
仕事に慣れてくると工務店での作業が懐かしくなり、ボランティアで施設などの補修を請け負うようになる。
そして順子と出会った。
順子はアルバムを持って来て広げた。自分で見るのは辛いからとキッチンに立つ。
均はページをめくる。
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by officialstar | 2014-09-20 10:04 | 夕に綻ぶ
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