烏鷺

bbbrats.exblog.jp ブログトップ

夕に綻ぶ 13

視界に揃えられた両脚が入った。女性の脚だ。
ヒールの低い靴に、不似合いな細い足首。
均は順に身体を追う事なく、真っ直ぐに顔を見上げる。
途方に暮れた表情がそこにあった。
困惑したいのは均の方であったが、それも許されない程女性は困っている。
階段の端に座り込んだ均は通行の邪魔になるわけもなく、
見知らぬ女性が彼の前で立ち竦む理由は見つからない。
均の顔を見て、彼女は更に眉を寄せ、それでいながら口の端に無理な笑みを乗せる。
「何か」 均は落ち着いた声で訊いた。
「あの あのね」 女性は言うが、続かない。やがて唇を結び、均の前から離れた。
均は一度足元に視線を落とし、だが気になって女性の去った方を見てしまう。
立ち止まっていた。立ち止まり、均を振り向いている。
知人ではない。年齢は均よりずっと若く、たとえば高校の後輩とも考えづらい。
均と目が合ったのをきっかけに女性は一歩彼の方へ戻り、だがそこでまた止まる。
まるで段ボールに入った犬の気分になる。
拾うか拾うまいか。育てられるわけがないのに、気になって立ち去れない。
均は立ち上がり、女性の方へ歩き出す。
ともあれ彼女を解放してやらなくてはならないと思った。
自分が自分の問題から刹那的にながら離れた事に気づく。
もう動けないとすら思えたのに、自分は歩き出している。
「僕は 大丈夫です」 均はそう言うつもりだった。
だが彼女は、均が話し掛けられる距離まで近づくと、弾かれたように歩き始めてしまった。
怯えさせたのかと足を止めれば、数歩先でまた振り返る。
均が歩き出すまで、動かない。均が後を追うと、慌てて歩き出す。
それを繰り返すうちに、均は立ち止まる事を忘れ、女性も振り向く事をしなくなった。
やがてマンションの前に着く。
中央玄関のオートロックを解除しながら、女性は彼を見る。
ドアが開くと、一歩下がって彼を通す。戸惑いながらも均は建物の中に入り、エレベーターに乗る。
八階建ての、六階。エレベーターの中で女性は手提げ鞄から鍵を取り出す。
「どうして」 均は問う。
女性はじっと均の目を見つめる。その瞳が潤む。均は「いや」と質問を打ち消す。
このか細い女性に何を警戒するものでもない。
仮に彼女が誘い込んだ部屋に屈強な男がいて、美人局のように毟られたとしても。
部屋着のまま、財布も持たない均に怖いものはなかった。
殺されても、それが不可抗力な事態ならどうでもいい気がした。
鍵が鳴ってドアが開いた。玄関には普段ばきの女性用サンダルがあるきりだった。
女性は据えられた来客用のスリッパを出す素振りもなく、奥へと進む。
手提げから小さな缶を出す。均を振り返り「紅茶 嫌い?」と訊いた。
「いや」
「座って待って?」
目線で示された先がリビングだった。均はソファも肘掛椅子も避け、オッドマンに座る。
やかんを火に掛け、女性はキッチンから走り出てきた。
「うっかりしてたわ。洗面所はこっち。手を 洗わなきゃ」
均は勢いよく立ち上がった。犬の次は子どもだ。女性が手招きするドアに入り、手を洗う。
ついでに顔を洗い、鏡を見た。
現実が押し寄せる。

坂下の身体を突き飛ばし、部屋を出てきた。
強く引き寄せられ、下腹部に坂下の固く興った男性を感じた瞬間に、
言いようのない嫌悪と恐怖が込み上げたのだ。
肩を抱かれても髪をいじられても、抱きすくめられても、どこか恍惚とした幸福を感じていたのに、
性の象徴を突きつけられ、途端に幻想は瓦解した。
抱けないまでも、女性の肉体にそうまでの拒絶を覚えた事はなかった。
玲子や佐央理より、一緒にいたいと願う相手であるにも関わらず、坂下の性は受け容れられない。
肌を合わせても構わないと思ったのは自分ではなかったか。

洗面所のドアがノックされる。
均は顔を拭き、リビングに戻った。
[PR]
by officialstar | 2014-09-03 10:35 | 夕に綻ぶ
line

小説


by officialstar
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite