烏鷺

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夕に綻ぶ 11

「合意がなければ手は出さない。それは鉄則。でも 視線までは縛れない。
俺はどうしたってそういう目であなたを見てしまうし あのベッドを一緒に使う事を考える」
喋り続ける坂下を均は口を開けて眺める。何をどう返していいのか分からない。
「主寝室だから 子供だましだけれど鍵はついている。それが掛かっている限り俺はドアを開けない」
「あ あ」
「出来る限り あなたを不快にさせない努力はする」
「ああ」
「でも 事実は事実だ」
均は唇を結び、頷いた。その事実がすぐに入って来ないのは、半年前と同じだった。
だが、半年前も今も、明かされてしまえば自分はそれを知っていたような気がするのだ。
妻との生活が現実のものではなかったという事も、目の前の男性がゲイだという事も。
自分はそれを感じた上で、坂下に惹かれ、同居の申し出を受けようとした。
均はその事に思い至り愕然とする。
だが。
いいや。違う。均は首を振る。自分はゲイではない。嫌悪もしないが、容認もしない。
ゲイであるからこその坂下の雰囲気に惹かれただけだ。
それともそう思いたいだけなのか? 現に自分は佐央理を抱けないでいた。
「俺はゲイじゃない」
「ええ」
「それでも?」 均は坂下を見た。
坂下も均を見ている。その眼差しに出会い、均は「ああ」と思う。
自分が欲しいものがそこにある。
「今のところの契約はそのままにしておいてくれていいです。暫くは家賃は要らない」
「いや 愛着はない」 均は言った。
坂下に手を伸ばす。その意図を察し、坂下もそれを握り返した。
握手というごく一般的な接触。坂下の少し湿った掌を感じながら、均は大丈夫と思う。
坂下は一度強くその手を握り、離した。
「引っ越しはいつがいい?」
「来月。俺があの職場を離れてから」
「だな」 均は頷き、「そうすれば もう敬語は出ないだろう」と言った。

均は荷物を整理し、家主に退去報告をした。一か月前が規則だが、次の入居希望者が待っていた。
月が改まり坂下が挨拶だけで職場を去ると、均はすぐに転居した。
新たに購入したのは、チェストと、ベッドに合わせたシーツだけだった。
処分したものは幾つかある。最小限に揃え、殆ど使用していない台所用品。浴室小物。
坂下は料理を作って均を歓迎した。
食卓に置かれた一輪挿し。均がそれを眺めていると「そういうのは嫌い?」と訊いた。
「いや」と答える。実際どちらでもよかった。「和らぐよ」
食器のブランドなど知らなかったが、それが吟味されたものだという事は分かる。
安物ではないまでも、応急に揃えた自分のものは捨てる事にした。
ただ、朝のコーヒーに使うマグカップだけは欲しい。
キッチンや食卓の雑音にならないように、均は坂下に見繕って来てくれと頼む。
自室にひとりになると、均はカーテンを眺めた。香りの感じられる緑色。
下見をした時にそれが掛かっていたかどうか定かではない。
前の住人が選んだものか、坂下が均のために用意した品か。
人工の照明と、朝の陽光で色が変わる。夜は緑陰の、朝は木漏れ日の、色。

夕食は主に坂下が作る。均は朝食の用意を申し出た。
先に起きてコーヒーを淹れて欲しいと坂下は言った。
コーヒーの香りとおはようの声で迎えられたい。
丁寧に分量を量りながら、誰かのためにそうする事の豊かさを均は知る。
坂下の好みとこだわりが分かってくると、朝食の一品二品を均が作るようになった。
コーヒーを飲みながら、坂下は均を見ている。
ガスコンロの火を消して、皿を手に振り返り、均はその視線と出会う。
最初の頃笑って表情を消した坂下だが、徐々に真顔を崩さなくなった。
真剣なまなざしに均の脈が一度強くなる。
皿を食卓に置き、焼き上がったトーストにそれぞれ好きなものを塗る。
その間に空気は朝食のものになる。仕事や天気の話など、どちらからともなく話し始める。

淡々と、少なくとも均にとっては淡々と日々は過ぎて行った。
それは永久にでも繰り返す事の出来る日常に思えた。
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by officialstar | 2014-08-28 10:09 | 夕に綻ぶ
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