烏鷺

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夕に綻ぶ 7

「先に失礼すると言っておきました。送ります」
「悪いよ そんな」
「心配しているよりましです。どのみち もう」 ここには居たくないという素振りをする。
均は頷き、「じゃ 甘えようかな」と言った。
「会費は立て替えておきました。車 呼んであります。行きましょう」
腕を軽くとって、出口へと向かう。
敬語を使っているが、そんなに年齢差があるとも思えない。
待つほどもなく車は横付けされ、均は先に乗せられた。
部屋まで送るつもりなのだろうか。女性をそう扱った時の事を思いながら、ぼんやり考える。
段々に頭痛がひどくなり、何もどうでもよくなる。
「住所 いいですか」
均がマンション名を告げると、坂下が運転手に伝える。
住所で見当がついたのか、道順も説明した。その後はずっと無言のままだった。
時々気遣うように顔を覗き込む。均は坂下に凭れかかった。車の振動が有機的なものに変わる気がしたのだ。
頭痛が脈になる。
坂下の腕が動く。着いたのだ。財布を出し、精算する。坂下も一緒に降りる。
「帰りは」 車を返してしまったら困るのではないか。
「近いんですよ ここから。酔い覚ましに歩くにはちょうどいい」
均の腕を握り、エントランスを通る。エレベーターに乗り込み「何階?」と訊く。
「五階。512」
「512」 口の中で繰り返す。
均は上着から鍵を取り出し、坂下に渡した。鍵穴を探るのも大儀になっていた。
歩き出す時坂下は均の身体を抱えるように腕を回した。
脚にくる酔い方ではなかったが、均は坂下に体重を預けた。
支えられる事と、布越しに感じる他人の体温が心地よかった。
坂下は歩幅を小さく、振動を最小限にした。扉の前に立ち、鍵を差し入れる。
ドアが開いたが、均は坂下から離れず、坂下も均を押し返す事はしなかった。
1LDKの間取り。少し廊下があり、リビングが見える。
「ベッド?」
「ソファでいい。水が飲みたい」
均を座らせると坂下はキッチンに入った。グラスを手に戻る。
その水を一息に飲み、「ありがとう」と言う。
「服を弛めた方がいい。タオル 絞ってきますか?」
「いや」
「水は?」
「ああ 氷多めに持って来ておいてくれるかな」
再びキッチンに消え、グラスを持ち帰る。それをテーブルに置くと、用はもうなかった。
均は上着を脱ぎ、ネクタイを抜いた。
「悪かったな 助かったよ」
「いいえ。ここに ひとり?」
「うん そっちが寝室。味気ない部屋だろ」
坂下は肯定も否定もしない。ソファに投げ出された上着を取り上げ、形を整える。
「ハンガーに掛けておいてくれないかな。隣の部屋に ベッドの上に多分あるから」
ドアを開け、寝室に入ってハンガーを取ってきた。
「どこも片付いているんだ」 独り言のように呟く。そして慌てて「ごめんなさい」と言う。
「何が? どうして敬語? 君の方が職場では先輩だ」
「しっかりして見えるから」
「既婚……もと 既婚者だからかな」
坂下は口を開き、だが息だけ吸って目を逸らした。質問を、呑み込んだのだろう。
「何か他に して欲しい事は。ベッドまで行けそう?」
「少し休めば」
「じゃ これで」と玄関に足を向け、それでは鍵が開けっ放しになると気づいた。
均はテーブルの鍵を目で示し、「悪いけど」と言った。
坂下は頷いて鍵を握り込んだ。
均は携帯を差し出した。「番号 貰えないかな」
坂下は黙って作業する。それをテーブルに置いて「おやすみなさい」と言った。
引き止めたい衝動を均は覚える。口実はない。「おやすみ」と返す。
そして足音と、玄関の閉じる音を、聞く。
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by officialstar | 2014-08-02 17:04 | 夕に綻ぶ
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