烏鷺

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夕に綻ぶ 5

集中できないまま仕事を終え、佐央理の部屋に帰った。
夕食の卓を挟み「誰かのために料理するのは愉しいわ」という言葉を聞く。
女とは食事をする事はあっても外食で、ベッドを共にするのもホテルの一室だった。
マンションの片隅の、それは佐央理にとってままごとのような生活だったのかも知れない。
均は皿洗いを形ばかりに手伝い、気の入らないテレビを観た後先に入浴する。
佐央理はタオルを巻いただけの姿でベッドに飛び込んできた。
豊満なその身体を均は抱く。
華奢ではないが、どちらかというと筋肉質に引き締まった玲子の肉体とも、
残像のように焼きつく母親の裸体とも、違う。
肉感的な肢体に顔を埋めながら女の匂いを嗅ぐ。
手に余る乳房を揉み、肌という肌、襞という襞の全てを舐め、佐央理を陶然とさせる。
だが均の男性は機能しないままだった。
均は指で佐央理を宥め、背中を向けて目を閉じた。
佐央理はその背に顔を埋め、同じ眠れない夜を送った。
次の日佐央理はリビングのソファベッドを広げた。均は黙ってそれを見ていた。
「勿論」と佐央理は言う。「いつ来てくれてもいいの」
新しいシーツと肌掛け布団を受けとり、均は口の中で謝罪めいた言葉を呟く。
一週間が過ぎたが、均が寝室を訪れる事はなかった。
じゃれるように佐央理を抱き締めたり、キスしたりする事はあったが、
そこで均は昂ぶらない自分を確認するだけだった。

事務手続き上、離婚の事実を伝えないわけにはいかないと気づく。
均はその代わりに辞表を出した。
自己都合による退職は不利になると言われたが、ひとりだけなら生きていける。
持ち出した通帳に残金は充分あったし、いろいろ整理されれば受け取る資産もある。
当面はアルバイトや派遣で凌げるだろう。
家を出てから一か月が過ぎていた。

「何があったか 訊いてもいい?」 佐央理が言った。
同棲と言えぬ同居を続ける事が苦痛になっているようだった。
当初均に再婚の可能性が全く浮かばなかったわけではないが、
今となってはあり得ない。
「ごめん。出ていくよ」
必要なのは過去を切り捨てる事なのかも知れない。
均は思う。
仕事にしても、もとをただせば母親の縁故だ。
女は均が知り合った相手ではあるが、その火遊びも玲子らに見抜かれていたと思うと、
与えられた享楽である気がしてならない。
母親の残像を消し切れない限り、自分は取り戻せないのかも知れない。
「ひとりになって 自分を見つめ直す時機なんだ」
佐央理は止めなかった。
引き出しから封筒を取り出すと、均に差し出した。
断ろうとする均に「私たちは対等だった。そうでしょう」と言う。
逢瀬の費用は確かに均が負担していたが、何を買い与えるでもなかった。
「しかし それでは俺の気が済まない」
「じゃ 最後にごちそうして頂戴」
佐央理は均をキッチンに連れて行く。味噌汁を一緒に作る。
冷蔵庫にある食材のありったけで、下ごしらえから仕上げまで均に手伝わせた。
外食とホテルでの愉しみでしか知らなかった佐央理の、家庭的優しさに触れ、
均は自分が失いつつあるものを思い知らされた。
家具付きの部屋を見つけると手料理を佐央理に振る舞い、
買い足した衣類と佐央理が買い置いた雑貨を鞄に詰めて、均は新しい生活に入って行った。
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by officialstar | 2014-07-16 10:15 | 夕に綻ぶ
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