烏鷺

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悟志 4



「そうなら?」
僕は彼が意地悪だと思った。初めて思った。僕に言わせたいのだろうか?
唇を噛んで僕は押し黙る。
彼は首を傾げて斜め下から僕の顔を見上げた。
「君がそうでも 僕にはどうしようもないよ?」 彼は言った。
指の先で弾かれた気がした。僕は顔を上げる。
「それは君の問題で 君が折り合っていくしかないんだ。助けられない。
受け容れてしまった方が楽になれるとは思う。でもそれを強要する事は出来ない。
君の人生なんだもの。君がそれを厭うならば君は逃げるしかない。
どちらを選んでも それは君の人生だ。
そしてどちらを選んでも 僕はそれを否定はしない」
彼は静かに淡々と話した。
僕が恐れた僕への嫌悪や非難は微塵もなかった。
「嫌じゃ ないんですか」
「君がそれで苦しんでいるとしたら 辛いね。君はとても繊細だから。
肩代わり出来ない僕も 自分の非力さに もどかしい思いをしなくてはならない」
「僕の事 は いいんです。そうじゃない そうじゃなく あなたは」
ズボンの布を掴んだ。その指が震える。汗が吸い込まれていくのが分かる。
「あなたは僕を」
「可哀想だとは言わないよ」
「そうじゃなく!」 思わず声を荒げた。
僕は肩で息をしていた。彼は僕の手に、その手を重ねた。
それが答えだと僕には分かった。
彼は僕を軽蔑も否定もしていない。
「ねえ」と彼は言う。「僕はこの子を愛しているよ」
人形の事だ。彼には弟なのだ。
「おかしいだろう? でもこの子は僕の弟なんだ。弟のように僕は彼を愛している」
「死んでしまったの?」
「そうだよ。僕はそれを認めたくない。僕は弟を失いたくない。でもそれは」
「全然!」 叫ぶように僕は彼を遮った。彼が自分を否定する言葉など聞きたくなかった。
そして僕は彼の行為を異常だとは思っていない。
彼は僕から手を離した。「うん」
立ち上がって人形の前に行く。髪を撫で、頬を掌で包んだ。
首の角度が少し動いたのだろう、人形が兄を見上げたかに感じられた。
視線の重なりが、兄弟の情を温度で伝える。
「選ぶんだ。選んだ後は迷わない。選ばなかった道を思わない。僕は弟を選んだ。
失ったものは多い。父さんは海外から戻らない。僕は高校を中退した。友人も いない。
君もいつか選ばなくてはならないだろう。自分に正直になるか 世間に阿るか。
だが それは誰しも同じだ」
「後悔は ない?」
「今はまだ 信じていられるから」
何を? 問いは口まで出ていたが、僕は訊けなかった。
その答えは分かっているような気がした。
彼は弟から離れると、いつもの声で「コーヒー?」と訊いた。

「僕があなたを好きになったらどうしよう」
そう訊く事が出来たのは、それから数か月後の事だった。
顧問に退部届を出した。僕は塾に通い始め、週に一度彼の部屋を訪れる。。
不思議な事に弟の緊張が少しずつ解かれていく。
僕の意識の変化だろう。人形から、僕にとっても彼の弟へと変わっていった。
最初に感じた家族の匂いが僕を一緒に包む。
その安心感だろう。僕は冗談と本気を混ぜて彼にそう訊いていた。
彼は笑う。「さて どうしようね」
「困る?」
「それは君が女の子でも同じだけどね」
「どうする?」
「その時考えよう。どんな恋愛でも最初は一方通行だ。今から悩む事じゃない」
「不安じゃないですか?」
彼は僕の腕を見る。僕はまだ体の完成しない中学生で、部活をやめて筋肉も少し落ちてしまったけれど、
それでも彼より腕は太かったかも知れない。
彼はもう一度「その時考えよう」と言った。


結論から言おう。
僕が彼を好きになる事はなかった。
その願望は根底にあったと思う。僕は彼を好きだった。
友人として家族として分かり合える存在として、だがそんな意識ではなく、
ただ彼が好きだった。彼と一緒にいられる事が嬉しかった。
彼を取り巻く空気に棘を感じた事はなく、
僕の彼への感情に負の要素が混じった事は一瞬たりともなかった。
弟に対する嫉妬さえ。彼が弟を愛している事が僕への肯定でもあった。
人形を抱く彼ごと僕はその存在を愛した。
会えない間も彼を思う程、僕は彼が好きだった。
それでも僕は、彼を好きにはならなかったと言える。

僕は別の人を好きになった。
最初からそういう人を分かっていて好きになった。
年上のその人は僕を受け容れてくれた。

そして僕は彼を訪れる事をやめた。
彼への気持ちは変わらない。弟への気持ちも変わらない。
だがそこはもう、僕に相応しくない場所になったのだ。
或いはそれ以外の理由を僕は持っていたのかも知れない。
僕はさようならも言わず、彼に会うのをやめた。




悟志 完
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by officialstar | 2012-09-02 15:29 | DOLL
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小説


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