烏鷺

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正敏 4



弟は前と同じように椅子に座っていた。
人形と分かっているからなのか、以前ほどの違和感はない。
よそよそしさも、ない。
傍に寄って瞬きしない目を覗き込んだ。ガラスの反射なのか潤んで見えた。
唇は何かを喋り出す寸前の、少し緩んだ口元をしていた。
彼に似ている。
弟だもの。
数歩下がって全身を改めて見る。
白いシャツと黒いズボン。まるで何かの制服のよう。
「お年玉で 服を買う予定だったんだ」 彼は言った。
その上下は人形師が着せたままの服なのだろう。彼は悔しそうだった。
着替えを何枚も買えるまで小遣いを貯められるのは随分と先だ。
高校は私立の進学校だからバイトも出来ない。
「入学祝もきっと品物でしか貰えない。父さんはまだ怒ってる。ずっと怒ってるだろう」
「僕の」 僕は言った。「いや 僕のじゃ小さいかも。兄さんのおふるならある」
彼を見る。古着なんて嫌かも知れない。大事な大事な弟なのだから。
しかし彼は期待を込めて僕を見つめていた。
「僕の押入れにある。それでよかったら持ってくる」
「いいの?」
「全部なんて 母さんだって覚えてないさ。適当に選ぶよ」
「いいんだね? 頼めるんだね?」
「どれくらい傷んでるか 知らないよ?」
「いいよ。嬉しい。僕のは引っ越しの時に全部…… ああ よかった。本当に?」
「明日 塾の前に寄る」
帰って探したいからと僕はその部屋を出た。
戸口で時間が途切れる。自分が緊張していた事に気づく。
あの部屋は、あの空間はこことは繋がっていない。
建物を出て道を急ぎながら、僕はそんな事を、そういう言葉じゃなしに噛み締めていた。


その後数回は通ったと思う。
最初に届けた衣類以外に、たとえば本や流行のカードなど。
彼が要らないと言えば持ち帰ればいいと運んだそれらを、彼はどれも喜んだ。
まるで弟がその部屋に本当にいるかのように。
そうではないと分かっていても僕までが錯覚に陥る。

昨年まで家にあった小さな人形を、父親が供養に出したと言う。
彼はそれを大事にしていた。大事にし過ぎて父親を心配させた。
父親は彼を医者に診せカウンセリングを受けさせ、環境を変え、人形を取り上げようと試みた。
その全部に彼は傷つけられてきた。
供養に出す交換条件として彼はそれを作った人形師の連絡先を聞き出した。
一番よい供養の仕方を訊くためだと。
彼はそうすると同時に新しい人形を注文した。
「これは僕の弟だ。僕だけの弟だ」 彼は言う。
弟の不在が何ヶ月に及んだか、僕は知らない。彼にとっては辛く長い日々だったのだろう。
取り戻すように愛おしむ。
何回か、何時間かの訪問の間にもそれは痛い程に伝わってきた。
それは人形だと何度も口まで出かかった。
現実じゃない。人形は現実の彼を援けてはくれない。ぬくもりもくれない。
話し掛けても返事ひとつしないじゃないか。
彼は僕を蔑ろにはしなかった。僕がいる間は僕の話を聞いてくれていた。
しかしそれでも僕は、彼の心の大半が人形に奪われているのを感じずにはいられなかった。
僕に話をさせるのは僕の声を弟に聞かせるため。
僕を迎えるのは弟に同年代の友人を得るため。
何度も僕はもう行くのをやめようと思った。
自分が辛かった。彼を嫌いになりたくなかった。弟の事など好きになれるわけもない。
だが知らない間に弟に届ける本を選んでいたりする。
彼の喜ぶ顔が脳裏に浮かぶ。彼の味方は僕しかいない。


訪問をやめたきっかけは定かではない。
風邪か用事で途絶えたそれを、復活させなかったくらいの事と思う。
僕は僕の心に蓄積されていった苦味を覚えている。
変わっていく彼を僕は受け容れられなかった。
それは多分高校進学を控えた彼の、年齢的変化だろう。
子供から大人への変身。
出会った頃の、その後を知った今では爛漫とすら思える表情が、彼から消えた。
父親に殴られた赤い頬は、もう彼の顔に連想できない。
届いたという制服を見せて貰った。
スーツにネクタイ。大人のようだった。
「ステイタスだね」 特徴ある格子のネクタイを手に、彼は言った。
皮肉になげやりな物言いだった。
そしてそれは彼が僕に見せた最後の、子供らしい口調だった。



正敏 完
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by officialstar | 2012-08-22 19:21 | DOLL
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