烏鷺

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正敏 3

彼は門の前で待っていた。
部屋は一階だった。
遠慮というわけでなく、僕はそっと足を踏み入れた。
昼間の寮はしんと静まり、彼の家にも人の気配はない。
だが彼はまるで彼を待つ誰かがいるような足取りで奥へと向かう。
少し急いた足取りと、これまで感じた事のない熱のある彼の背中がそれを物語る。
会わせるという彼の言葉は真実なのかも知れない。
それはたとえば犬? 
僕はひとり合点する。高価な犬種ならば何十万とするだろう。
寮住まいでは親も反対するだろう。
ドアに手を掛けて彼は僕を待っていた。そこに、いる。
僕は何となく声を潜めて「ここ?」と訊いた。
頷く。「そう そっとね 驚かせないように」
「まだ子供なの?」 犬と決め込んで僕は訊いた。
「そうさ。そして君が初めてのお客様だ」
薄暗い室内に入り、僕は息を呑んだ。
犬、じゃない。
僕と同じくらいの、僕よりも少し大きいかも知れないくらいの、
男の子が椅子に座っていた。
「誰」 僕はその子と、彼と、半々くらいに訊いた。
答えたのは彼だった。「弟 だよ」
僕は忙しい。
目の前の少年を観察するのと、彼の言葉を咀嚼するのと。
「え?」
両方を僕の中で一致させるのは難しかった。
そこにいる少年は瞬きもせず、彼の弟はずっと昔に死んだ筈だった。
「え……」 人形。
これは等身大の人形。生きているかのような、精巧な。
「ええと」
「生きていれば君と同い年だって 言わなかった?」
弟はもう生きていない。何年も前に死んだのなら僕と同い年なわけもない。
しかし彼は僕の学年をもう一度確かめ、満足げに頷いた。
「友達に なってくれるね?」

その日、なんと答えて帰ったか、よく覚えていない。
僕は彼の買い物が人形だった事にひどい衝撃を受けていた。
とうに死んでしまった弟の人形を作って何になるのだろう?
弟がいなくてもお母さんがいなくてもお父さんがいるのに
そのお父さんに殴られてまで人形を作って何になるのだろう?
家に帰っても答えは出ない。人形と友達になんてなれない。
彼の事は好きだったが、その行為を理解する事は出来そうになかった。
僕はその日ポケットに忍ばせていった5000円を貯金箱に戻した。
彼が欲しいものを訊いた上でそれを渡そうと思っていたのだと、
その時になって自分の行動の意味を知った。
おそらくは彼の秘密を共有したいと考えていたのだろう。
親に隠れて、親に逆らってまで求めたそれを応援する事によって、
彼の身近な存在になりたいと願ったのだ。
だってそうじゃないか。
ただひとりの肉親である父親の理解も得られず、
他に打ち明けられる友人もおらず、そうでなければ僕を選ぶ筈もなく、
彼がそれを見せてくれるならばそれは即ち僕が彼の一番だという事だった。
しかし明かされたそれは到底容認できるものではなかった。
二度と行くまいと思った。
変じゃないか。中学生が人形を買うなんておかしいじゃないか。
まるでそれが生きているかのように話し掛け、僕にまで友達になってくれなんて、
そんなの絶対変だ。
「変だよ おかしいよ 全然変だよ」
繰り返すうちに声が潤んできた。

その時の感情は子供の僕には分からなかった。
僕は彼が「僕を知る為に」それまで僕とつきあっていたのが
弟に相応しいかどうかを見極める目的であった事に腹を立てていたのだ。
僕は中学生の彼が親しく僕に接してくれる事を喜び、彼を好きになったのに。
彼が見ていたのは「弟と同い年の僕」でしかなかったなんて。

二度と行かないと決めた僕は、だがその決心を貫く事は出来なかった。
次の週の同じ曜日の同じ時刻に寮の前に立っていた。
待つほどもなく彼は建物の中から走り出て、僕を迎えた。
食堂のテーブルに僕を座らせ、ジュースとお菓子を出してくれた。
弟の話は彼の方から出なかった。
学校はどう? じきに春休みだね。進級の時クラス替えはあるの?
クラス編成は変わる。その不安はつきまとう。
好きな友人と同じクラスになれたらいいとか、担任は男の先生がいいとか、
5年に上がると勉強が難しくなるって本当?とか。
親にも兄にも言えない事を僕はつらつらと並べる。
彼は何度も頷き、そのひとつひとつに共感を示しつつも提言をして、
僕の胸のもやもやを消し去ってくれた。
会話が途切れた。
僕は「弟は どう。ここに慣れたみたい?」と訊いた。
彼の顔が輝いた。だが彼はそれを一瞬で消した。「まあね」と言う。
僕を気遣っているのだとなんとなく分かった。
立ち上がると僕は、人形のいる部屋のドアを指さした。彼は頷いて立ち上がる。
僕と一緒に部屋に入り、明かりを点けた。




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by officialstar | 2012-08-22 11:25 | DOLL
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