烏鷺

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正敏 2


次の週から僕はその門の前で彼を待つようになった。
5歳も年下の小学生に待ち伏せされる事を彼は何とも思っていないようだった。
僕の姿を見ると気安い様子で手を振って、並んで歩く。
最初の時より少し早めの時間だから、彼は僕の歩調に合わせてくれる。
それを僕は更に遅めて、少しでも長く話そうとした。
顔の腫れはすっかり引いていたが、勿論僕は忘れていない。
父親と仲が悪いのかとかお母さんはどうなのとかいろいろ訊いた。
土足で入り込むという表現を後に知ったが、まさしくそのとおりだった。
だが彼は怒る事無く、時に愚痴のように、時に笑いながら教えてくれた。
つまり彼には母親はいなかった。
弟がいたが、その子も昔に死んでしまって、今は父親と二人暮らしなのだそうだ。
独身寮の一角の、本来なら管理人所帯の部屋に住んでいる。
「お父さん 厳しいの」
「普通だろ」
「どうして黙って買い物なんてしたの」
「言えば反対されるからさ」
「一体何を買ったの」
何度目かの質問だ。僕はまだ答えを貰っていない。
彼は何も隠さなかったが、この問いだけは「言っても分からない」とはぐらかす。
「見れば?」 
彼は躓いた。
「ねえ ねえ 見れば? 分かる? 見せてよ」
黙っていたのは、何もないところで躓いた間の悪さか、それとも迷っていたのか。
角まで行って「でもね」と話し出した。「まだ届いてないんだ」
「注文なの」
「注文して出来上がるまで 長い事かかる。その前に父さんにバレちゃったし」
「じゃ 返品されちゃう」
「いいや。それは出来ない。それにそんな事をしたら 今度こそ僕は」
そこまで言って彼は口を噤んだ。
先が気になる。「僕は?」
「いや」 初めて見せる後悔だった。言い過ぎたのだ。
それでも僕は食い下がろうとしたのだが、その途中で不意に言葉が降ってきた。
……シンデヤル。
ぞくっとした。服の下で鳥肌が立った。
彼も所詮中学生だ。それくらいの事を口走っても不思議ではなかった。
だがその時、小学生の僕には中学生も同じ子供だとは思えなかったのだ。
「……届くの? ちゃんと」
「志望校に合格したらね。そう約束した。塾にも通って勉強して」
「合格発表っていつ」
「少しでも早く がいいから 推薦を狙ってる」
「届いたら 見せてくれる?」
「それまでの間に 君を知る事が出来たらね。会わせてもいいと思えたらね」
「会う?」
言葉のあやだよと彼は言った。
よく分からなかったが、それは彼にとってあまりに大切なものだから、
まるで人のように思えるのだろうと僕は考えた。
僕は受験頑張ってねと言った。
「二学期の成績からすれば。それが駄目だったら本試験になるけど」
彼は言った。
僕にはその日がその年最後の受講日だった。

兄か親に訊けば受験の日程は分かったと思う。
だが僕は知りたがる理由を訊かれるのが怖かった。彼との事は全部秘密にしておきたかった。
推薦受験の結果がいつ出るのか、僕はどきどきして待った。
お年玉を受け取り、彼は幾らかでも貰えたかしらと思う。
あてにしていたお金を何に使うつもりだったのだろう?
目的の買い物はぎりぎり間に合ったと言う。それ以外に何が欲しいのか。
今度会ったらと思う内に冬休みは終わった。
受験講座は冬期から直前講習に切り替わり、小学生の講義とは重ならなくなった。
会えないまま一月も終わろうとしていた。
僕はいつもならすぐに使ってしまうお年玉をそのまま持っていた。
毎年5000円だけ自由にしていい決まりだ。
二月の最初の週。塾に行くと彼が塾長室の前に立っていた。
「あいさつに来たんだ 報告に」
「受かったの?」
彼は大きく頷く。結果は分かっていたが、合格通知を手にするまでは安心できない。
それが届いたのでもう大丈夫。
おめでとうを言うのも忘れて、彼の買い物の事を訊いた。
「来週」 彼は言った。「でも 落ち着いてからね。もう少し待って」
「見せて」 僕は言い直す。「会わせてくれるんだ?」
「その返事を もう少し待って と言ったんだ。訊いてみないと分からないから」
「誰に」
彼は笑う。曖昧に。だがどこか幸福そうに。
その幸福は壊してはいけないものに思えて、僕はもう何も言えなくなった。
思い出して「合格してよかったね」と言った。
彼はありがとうと言った。
それは合格を喜ぶというより、安堵し、その結果掴んだものを祝福するという感じだった。
心はきっと高校にはないに違いない。
塾の壁を通り越し、はるか遠くを見ているような彼の眼差しにそう思った。

そして10日後。
いつもの僕の通塾時間に、彼は寮の前で待っていた。
「今度 おいで」 彼は言った。「何曜日に来られる? 何時?」
「明日!」 僕は答えた。



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by officialstar | 2012-08-21 15:09 | DOLL
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