烏鷺

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星を問う 20


ソファに脚を投げ出し、腹の上でグラスを持っている。
小山内はそのグラスの存在も忘れているようだった。
「結局俺は負けた事になるのか」
珍しく自分はつきあいの一杯でやめた青木が「何に」と問う。
「君子に」
「勝った負けたの話なのか?」
「全部吐き出させられた」
「たとえば?」
小山内は視線を青木から一番遠いところに飛ばす。
「俺にも言えないような事を?」
「そうだ」
「君子から聞いてもいいか」
「駄目だ」
「それは」 青木はため息を吐く。「俺の負けって事か」
友人を眺めて小山内は諦観に似た笑いを洩らす。
「いいよ。聞けよ。話せよ。お前たちは夫婦なんだ」
「まだ夫婦じゃない」
小山内は「まだ」と言う。「これからは?」
「子作りのための結婚なんて真っ平だ。家庭は欲しいが 俺は理想の夫婦が知りたいんだ」
「君子を好きではない?」
青木は背筋を立てる。幾許かの驚きを込め「好きだよ?」と言う。
「いつから」
「最初から」
今度は小山内が驚きを見せる。
その表情に青木は更に意外そうに言う。「だって そうだろ?」
「何が」
「入籍までして 一緒に暮らそうと言うんだぜ。俺は君子をもっと知りたかったし
知ってよかったと今では思う。興味本位だった好意が 愛情らしきものに変化してきた。
あれは面白い生き物だよな?」
「いや?」
「お前を負かしたんだ」
小山内は肩を竦めようとしてグラスを思い出す。口に運ぶ。
青木は立ち上がって氷をトングでつまみ、小山内のグラスに入れてやった。
「うまくやれ」
「どうかな」
「暫く二階は好きに使っていいぞ。寝室はキッチンの上あたりだから心配するな」
「なわとびでもするか」
小山内は酒を含み、飲み込む。「お前たちは いい感じに見えたぞ?」
「いい関係だとは思う。でも恋愛対象ではないらしい」
「同時に始まる恋愛はない。お前に口説かれたら 堕ちるさ」
「他人事は 気楽だな」
小山内はグラスに視線を落とした。手首を返し、渦を見ている。
飲み干して「ああ 気楽だ。何より未来があって いい」と言った。
「お前は」
「あ?」
青木は迷う。稀なそのためらいを小山内は黙って眺めている。
発せられる言葉も、それに対する自分の答えも、両方知っていた。
青木はそれを友人の目の中に見つける。
「しかし お前はひどく曖昧だった」 青木は言う。
「佳苗が曖昧だったのだ」 首を振る。「もう いい。君子に聞け」


小山内との会話の内容を知りたいと青木は言った。
君子には巧く伝える自信がない。
佳苗からの手紙を取り出した。
青木はそれを君子の顔と交互に眺めながら、広げた。
目が動く。途中で君子は目を逸らした。佳苗に心の中で謝る。
しかし誰かに言って欲しかったのだ。誰かに確かめたかった。
青木が読み終わると同時に君子は問う。「遺書だと 思う?」
「どうして」 青木は優しく言う。「最後にまた会おうってあるじゃないか」
そう。それは自分でも思った。
「少なくとも これを書いている間は そんなつもりはなかった」
青木は丁寧に畳んで君子に返した。
一度で全部を把握したとも思えないが、散文的な文章は雰囲気だけで充分だったのかも知れない。
「どうして彼女は幸せでなかったのだろう。篠原恵の存在だろうか?
でもそれならば文面に滲み出るはずの 怒りや そういう感情が ここには見られない。
ただ虚しくて 空回りばかりだ。自分でもそれが分かっていて 誰も責められないでいる。
そんな自分に嫌気がさして 昔を懐かしんでいたのだろうな ずっと。
還りたいと言えば 君だけは応じてくれると思ったのか」
君子は、手紙を封筒に戻すとわざわざ元の場所に置きに行った。
反芻の時間が欲しかった。青木の指摘は尤もで、君子は全部を飲み込むしかなかった。
戻って君子は佳苗の母との会話から始める。
小山内にそれを知らせるかどうかも、青木に相談したかった。
「そんな くだらない」 青木は言い掛け、唇を噛んだ。
君子の批判の眼差しを受けても、なお「そんなくだらないことで」と繰り返す。
だが三度目には憐れみがそこに混ざる。
「だから なのか? だから彼女はいつも夫に負い目を抱き 懸命に尽くし だが心は添わず?」
「言えなかった。小山内さんには言えない。もう今更だもの。
でも小山内さんに どう佳苗の気持ちを伝えたらいいか分からない」
最後に小山内の口から引き出した、小山内の、妻への愛情を君子は語る。
青木は何も言わず聞いている。
君子が話し終え、促すまで青木は黙っていた。
「言えばいい」 青木は言う。「全部教えてやれ。後悔に泣き暮れても それは奴の責任だ。
好きなら心を抉じ開ければよかったんだ。
佳苗さんがそれを打ち明けるまで扉を叩き続ければよかったんだ。
今になって そんな告白 何になる? 壊せない壁なんてあるものか」
「でも 佳苗はもういないのよ」
「だが 彼は生きてる。これから先も生きていかなくてはならない。
ここから教訓を引き出さなければ それこそ何のために佳苗さんと結婚したか 分からない。
佳苗さんが噛んだ苦草を 奴も味わうべきなんだ。それが逃げた罰だろう」
その激しさに君子は驚愕と共に感銘を受けた。
君子は思わず青木に触れていた。
その服を握り、その顔を間近に見上げる。

この人が好きだ、と思う。




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by officialstar | 2012-08-07 13:29 | 星を問う
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