烏鷺

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星を問う 19



「疲れさせてしまったね」 小山内が言った。
君子は応える。「終わってやれやれだわね」
「そうじゃなく」 小山内は遮る。
続く沈黙に君子は察した。佳苗の母の相手をほとんど引き受けていた。
これまで感じた事はなかったが、
小山内が彼女が苦手だと言うのがはっきりと分かった。
殆ど決定的でもあった。
「何か 嫌な話を聞かされたのではないか」
離れた場所から君子の、もしくは二人の様子を窺っていたのだ。
君子の狼狽や怒りを察して傍に来たのだろう。
小山内の表情を窺う。会話の内容を知りたいというよりは、
君子の心労を気遣っているように見えた。
全部を伝える決断はまだ出来ていない。
しかしこれを逃しては機会は巡ってこない気もする。
君子は問う。「佳苗とは職場で知り合っての 恋愛結婚だよね」
「そうだが」
「どうして 佳苗と結婚したの?」
小山内は苦笑した。
「全然不思議じゃないだろう。当時既に両親は他界していて 何の束縛もなかった。
俺は俺の気持ちだけで伴侶を選べたんだ。
たとえそうでなくても 佳苗の条件は決して悪くはなかった。違うか?」
違わない。
「佳苗が好きだった?」
「ほかに何がある」
「佳苗を愛していた?」
小山内は一度口を開き、閉じた。
そして仕切り直す。「俺が訊きたい。佳苗は俺を愛していたのだろうか?」
君子は咄嗟に答えられない。
小山内が佳苗を愛していたかどうかが問題であって、
君子にとって佳苗の気持ちは意識の外にあった。
小山内は畳み掛ける。
「どれくらいの頻度で佳苗と連絡をとっていた? 何を聞いた? どこまで知っている?
俺が初めて誘った日を覚えているか? 君は佳苗の一番の ひとりきりの親友だろう」
君子は記憶に錘を垂らす。深く深く沈めていく。
結婚が決まったと知らされた。その前には?
「女同士 いちいち報告し合うのではないのか? 手に触れた事 接吻をした事 夜の事。
佳苗はそれをどう伝えていた。俺の事をどう話していた? 俺は知りたい。
俺こそが知りたい。彼女は俺に恋していたのか?」
「でもそれは あなたの見てきた事だわ」
「俺は信じていた。盲信だ。断られはしないだろうと思ってはいても
結婚の申し込みを受け容れられた時には有頂天になった。それが答えだと信じていた。
ああ 欲しいなら言ってやるさ 俺は確かに佳苗を愛していた」
追いつめて、追いつめられたのは君子の方だった。
君子には何もなかった。
結婚の報告の時、はしゃいだのは君子だ。経過は何も知らされていない。
会わないでいた一年の間に進行していた。その間電話の一本もなかっただろうか。
君子は答えられない。
そしてそれこそが全てだった。
小山内は顔を背ける。
いいや。君子は道を探す。佳苗がそれを好まなかっただけかも知れない。
女学生じゃあるまいし。恋だのろけだと。
そして突然思い出す。
「待って」 小山内の腕に触れる。「違う 待って。会った。就職して二年目?
佳苗に 色っぽい話はないのと振ったら 気になる人がいるって言った!
私が知る限り 一番女らしく 幸せそうに そう言った! いい人なの いい男だよ って」
「では そいつを諦めたという事か」
「違う!」 君子は声を振り絞るった。「あなた だわ。結婚するって聞いた時 私確かめたもの。
あの人なのって訊いた。多分それから二年くらい過ぎてたけど でも そうだって佳苗言った!」
熱を込め夢中になって喋る。
忘れていた事を思い出せば自分にとっても初見のドラマだ。
「だから佳苗はあなたに恋をしていたわ。憧れていた人に誘われて 請われて」
「では どうして」
小山内は君子の興奮に水を掛けた。
「君はそれをすぐに思い出さなかったのだろう」
忘れていた。忘れさせられていた。
佳苗はあまりに淡々としていた。結婚までの道程を語った事はあるが、
恋愛期間の話は殆どなかった。小山内という人間への気持ちを顕わにした事もなかった。
結婚前も。結婚してからも。
「全部が順調で 華々しさもなかった。だが俺は人生の至福の時だと噛み締めていた。
佳苗が笑い返すから それが彼女の気持ちだと浮かれていた。
しかし半年もして冷静になると 見えてくる。
結婚して 一緒に暮らして 物理的な壁が消えた後に それでも俺は越せない壁を感じ続けた。
佳苗は仕事をやめて 家で俺を待つ。俺だけの佳苗になった。
だがどれだけ夜を重ねても 佳苗は指の先の ほんのわずか離れたところにいるようだった。
子供が出来れば変わる 時間がふたりを夫婦にしていく そう考えた。
そして悠斗が生まれて ……それからの事は話しただろう」
小山内は苦々しく自嘲する。
「佳苗が望んだものは何だったのだ? 佳苗は誰を見ていた?
それが自分でないと気づくのが嫌で俺は逃げた」
「あなたしかいない」 君子は呻く。
佳苗のその恋は少女の恋だ。
記憶はより鮮明になり、その中で佳苗は処女のはにかみを見せる。
気になる人がいるの。素敵な人よ。

君子は呆然とする。
片恋の間は成就を願えばいい。
だが佳苗にとって成就のその先は破局だった。
口を手で覆う。
人生で一番幸福な時を!
恋した相手に望まれて結婚して、それ以上何があるだろう。
その頂点で谷底を見ていたのか。
請われた瞬間に佳苗は愛することをやめてしまったのかも知れない。
青木が言っていた。むしろ佳苗の方にうしろめたさを感じていたと。
君子は囁くように言った。
「あなたは 佳苗を愛していた……」
自尊を呑み込んで小山内は言う。「誰よりも」



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by officialstar | 2012-08-04 16:00 | 星を問う
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