烏鷺

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星を問う 15


君子の目には佳苗の傷痕は特別なものには映らなかった。
旅行に行けば当然風呂も入る。背中全体を露わにしても痣の面積はしれていた。
だがその程度の瑕疵でも男には問題になるのだろうか。
君子は訊いた。「嫌だと思うもの?」
「観賞用なら そりゃあね。きれいなのに越した事ないかな」 青木は言う。
君子に睨み付けられ、「真面目に答えてるさ」と返す。
そして「何 君 あるの?」と訊いた。
君子は挑戦的に胸を張り、「ある」と答えた。
さして興味もない風に青木は殆ど声にならない音を鼻から洩らす。
それは最初から鑑賞性を期待しないという意味なのか。
女性としての価値を君子に求めていないという事なのか。
君子は寝室に入って自分の支度を始めた。
実家から持ってきた水着はすぐに見つかった。後はTシャツか何か。
適当な鞄を探し放り込み、思い直してまた引っ張り出す。
下に着こんでいった方が簡単だ。となると帰りにつける下着とシャツと……
背後に気配を感じたが、青木である事は分かっていた。
振り向きもせず作業を続ける。
両腕を掴まれた。びくっとした瞬間に、背中に何かを押し付けられる。
髪の感触と、鼻骨の固さに、しっとりと伝わる熱が唇のものである事を知る。
君子は衝撃で硬直してしまう。
その間に青木は唇を背骨に沿って這わせていった。
呆然としていたのは数秒の事だったろう。君子は「何っ」と体を伸ばした。
青木は両手を離し、一歩下がる。
肩越しに振り返って視線を座らせる。「何の真似?」
「うーん」 いたずらを見つかった子供だ。「おまじない」
「何のっ」
「さあ」 青木は部屋から出て行った。


その夜である。
遊び疲れた悠斗と、これまた疲れた君子は早々に寝てしまった。
青木は氷の溶けた水割りを眺めている。
小山内はその青木を眺めている。
「疲れた?」 友人が口を開かないので、仕方なく沈黙を破る。
「そうでも」 青木は答えてグラスを空ける。顔を顰めた。
「悠斗 喜んでいたよ。ありがとう」
「礼なら君子に」
「言った」
青木は二杯目を作る。小山内はそこに自分のグラスを並べた。珍しい事だ。
小山内の分を押し遣り、自分のを口に運んで、青木はその手を止めた。
「忘れた」
「何を」
「確かめるのを」
青木は一点に目を凝らす。漠然とした記憶の中に何かを探っている。
そしてすぐ諦めた。「写真的記憶術ってのは どうやるんだった」
「苦手だ」
「君子の背中に どんな痣があるか 見ておこうと思って忘れていた」
小山内もまたグラスを止めた。「あるのか?」
「と言っていた。だが なあ? 確かに何度か後姿を見た筈なんだが。
あったという記憶も なかったという確信もない」
「それが?」
「どういう事なのだろう?」
真面目に訊き返され小山内は面食らう。
「混んでた?」 努力して質問を探した。
「そこそこ」
いつもは一人で会話を進める青木が押し黙ってしまう。
小山内の方からは切り込む事が出来ない。
混んでた。若い子も来ていた。そこまでを引き出すつもりだった。
ああ きっと若い女の子ばかり観ていたんだな。
だが青木はグラスを揺らしているだけだ。
「疲れているのなら 早く寝ろよ」 小山内は言った。
青木は素直に「そうだな」とグラスを煽った。

深い眠りに突き落とされた後、君子はふいに目覚めてしまった。
覚醒の直前に聞いた音が残っていた。
無意識にその正体を探る。階段を上がる音。青木だ。
階段の右に寝室。その奥に子供部屋。
足音は上がり切ったところで止まってしまった。子供部屋のドアが開く音もしない。
ベッドの中で君子は体を固くする。
ドアの外に青木がいる。青木が佇んでいる。
違う。自分はまだ目覚めてないのだ。青木は気づかぬうちに部屋に入ったのだろう。
闇の向こうに意識を飛ばしても何も拾えない。
隣室で物音がすればいい。だがそれもない。
君子は目を閉じ、早くなった呼吸を抑える。息を潜めて気配を探る。
青木の息遣いが耳に響く。幻聴だ。分かっていても消せない。
昼間の事を思い起こされる。背中に受けたキス。
柔らかく背を這い上がり、実際にはその前に君子が動いてしまったのだが、
妄想の中で青木の唇は君子の首筋に至る。
耳朶にかかる息。
君子は身を丸める。傍らの悠斗の寝息に耳を澄ませる。
悠斗の存在で自分の感覚を埋めようとする。
長い時間と、長い緊張の末、すべてが思い過ごしだと君子は息を吐いた。
廊下にも隣室にも物音はない。
馬鹿。唇だけを動かして呟く。
自分に向けて。そして昼間の青木に向けて。
恋人でもない相手にあんな事をするものではない。
そして結局青木はプールでも、その後にも何も言わなかった。
君子の背には目をひくような痣も傷跡もない筈だった。
その嘘を青木は指摘しなかった。
最初から冗談と聞き流していたのか、青木にとってどうでもいい事だったのか。
鑑賞用ではない。ええ。それは勿論ね。
君子は目を開けて闇を見据え、また目を閉じた。
馬鹿みたい。そう呟いて眠る試みに入る。


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by officialstar | 2012-07-29 09:35 | 星を問う
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