烏鷺

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星を問う 14



生活は少しずつ進行していった。
主婦業に慣れ、悠斗に小言を言うようにもなった。
季節が変わっても佳苗の母親の訪問はなかった。
悠斗を連れて遊びに行った方がいいかしらと小山内に問う。
行くのは止めないが、自分は遠慮するという返事だった。
佳苗は三人兄弟の一番上だ。弟と、その下に妹がいる。
弟は県外だが、妹は結婚して実家傍に住んでいる。
そこに孫もいるのだろう。悠斗はそれほど重要な存在ではないのかも知れない。
小山内の反応を見ていると、君子も億劫になってしまう。
佳苗の母親はどういう人だっただろうか。
君子らが大学生の頃に寡婦になった。
経済的には困窮しなかったようで、佳苗の曰く、若返ったという。
封建的な夫であったらしいから解放されたという事だろうか。
北陸の料亭か何か、老舗の出だと聞いた。
お嬢様気質ながら昔風の良妻のイメージだった。
小山内と合わないのはなぜだろう?

佳苗の誕生日。君子はケーキを買った。
春を迎えて悠斗は年長さんになる。

悠斗を連れて実家に行くと、まるで自分の孫のように母が喜んだ。
進級のお祝いだと好物を振る舞う。
「悠斗くんに 弟か妹 欲しいね」 母が言った。
君子の顔を見て、「まあ すぐにとは言わないけど」と続ける。
悠斗が落ち着くまでそれは無理だ。そう思ったのだろう。
君子は黙って頷いた。
「お前は健康だからいいよね」
何気なく言った事だが、君子の中で何かが弾けた。
佳苗の声が重なった。
「君子は健康だから いいよね」
いつ? 君子は懸命に追いかける。佳苗の寂しそうな顔。力のない声。
事故の時? 違う。
旅館。そうだ。旅館かどこか。
君子は思い出す。夕食にビールを飲んで、佳苗が喘息を出してしまったのだ。
アトピー性の皮膚炎と小児喘息の症状が幼少時にあったが、
成人してからはどちらも治まっていた。
ただ稀にアルコールを摂取した際に喘息、或いは喘息に似た発作が起きるらしい。
佳苗は君子に何度も謝った。
朝までに治らなくても日程を変えるだけだし。
様子を見なければ分からないじゃん?
佳苗が君子に「健康だから」と言ったのは、その時だった。
結局朝には落ち着き、予定通り旅行を続けた。
発作が出た事など知る限りではその一回だけだが、
結婚後飲酒を控えていたのはそのせいかと君子は思った。
「まさかね」
その後も旅先で佳苗はお酒を飲んだし、ランチなどでもワインは欠かさなかった。
出産して嗜好が変わったとか、そういう事じゃないか。
そう振り切ろうとしたが、その思いは澱のように胸に沈んだ。
佳苗が君子に見せていた顔と、小山内の知るそれは違うのかも知れない。
そしてまた、自分が見ていた佳苗が佳苗の全部であるとも限らない。
君子は二階に上がり、自分の部屋でアルバムを開く。
未整理のスナップ写真を広げているところに悠斗が来た。
「お母さんだよ」と佳苗の写真を渡す。
卒業してからのものは大方はデータ保存で、ここにはない。
写っているのは制服を来た佳苗だ。
野暮ったく束ねた黒髪の、どちらかというと童顔の佳苗に
悠斗は首を傾げて母親を重ねようとする。
だがすぐに「君ちゃん」と横に並ぶ君子を指さした。
髪の短い彼女は今とあまり雰囲気は変わらない。
悠斗はあちこちを指さし「君ちゃん」と言う。
佳苗の写っている写真を何枚か選び、鞄に入れた。
覚えているようで忘れている事もある。
一枚の写真から様々な思い出が広がった。
楽しかったねと呟いた途端に、悲しみが押し寄せてきた。
佳苗が生きている間は、そんな感傷に浸った事もない。
取り返せる筈もないのだが、失われた時間でもなかった。
それが友人の死によって決定的な過去となる。
「君ちゃん?」
「ごめんね」 一度は堪えようとした涙だが、君子は溢れるに任せた。
悠斗はその横で暫く君子を眺め、やがて走り去った。
タオルを手に戻る。
何も訊かず、泣かないでとも言わず、それを差し出した。
君子はタオルに顔を埋めて泣き続けた。


梅雨明け間近の休日。君子はプールに行こうと言い出した。
何年も水着を買っていないが、別に古いデザインでも構わないだろう。
悠斗のものは園での水遊び用に購入してある。
小山内は少したじろいで「水着がない」と言った。
青木は「探せばあるぞ」と、悠斗と一緒にはしゃぐ。
「三人で行ってくるから」 君子は小山内に言った。
小山内はためらいがちに「悠斗は初めてなんだ」と明かした。
彼が水着を持たないというのも、そういえば変だ。
「佳苗が 行きたがらなかった」
君子は驚く。この暑さだ。水に入りたいと大人でも思わないか?
子供連れならばファッション性もスポーツ性も無視する言訳になる。
佳苗は基本遊びには積極的だった。悠斗が喜ぶ事は分かり切っている。
「背中に 痣があると」
「ええ?」 
学生時代に、そう告げられた事はあった。
だがスクール水着から見える範囲は、どうという事もなく、
アトピーの酷かった頃の掻き傷だと言うが、当人が気にする程でもなかった。
事故で怪我を負ったのは脚かどこかで、それは関係ないだろう。
君子は小山内を見る。小山内は目を逸らした。
途端、君子は自分が立ち入った場所に気づき赤面する。
青木は水着を探しに行ったまま戻らない。悠斗もだ。
独り言で取り繕いながら君子は二階に上がる。
青木が寝室にしている子供部屋に入った。
「あったよ」 青木が振り回した。「後は何が要るかな?」
「タオルぅ!」 悠斗は叫ぶと階段を駆け下りていった。
君子の困惑した顔に、青木は「どうかした」と訊いた。



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by officialstar | 2012-07-27 11:47 | 星を問う
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