烏鷺

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星を問う 13


すきやきの準備を見て、青木が笑った。
「誰が奉行をする?」
意外や、小山内が手を挙げた。
君子は母親の作業をまともに見ていなかったらしい。
青木が口を挟むのを黙って聞くだけだった。
出来あがったそれは、君子には少し甘い。
悠斗に取り分けてやる。
「一日 何していた?」
「洗濯」 君子は答える。小山内と青木の下着の判別に悩んだ。
青木の好みが全く分からない。
「掃除」 それは一階部分だけ。明日は二階。「買い物」
「慣れないと一日があっという間だろう」
「慣れればそうじゃなくなる?」
「悠斗のおやつを手作りする余裕も出てくる」
「……忙しくなるばっか」
ふたりの会話を小山内は聞いていない顔をして聞いている。
君子はふと辛くならないのかと思う。
ここに佳苗がいたらと思えてくる。それは小山内も同じではないか。
だが訊かない。奇妙なその調和を乱したくなかった。
「こら 肉の横にしらたきを入れるな」
「え そうなの」
「奉行に任せておけって」
呑み始めたらやりたくないだろうと思ったのだ。
小山内は青木ほどに呑まない。
嗜む。その単語が浮かぶ。
青木が君子にグラスを差し出した。君子は断った。
決して嫌いではないが、この後の家事を思うと気分になれない。
「佳苗は呑んでいた?」と小山内に訊く。
驚いた顔で小山内は首を振った。
君子より好きで、君子より強かった筈だ。
青木が「皿洗いは引き受けた」とグラスを押し付けてきた。
小山内があまり呑まないから面白くないのだろう。
君子はグラスにビールを受けた。
悠斗がずるいと言うので、一杯だけジュースを許す。
小山内は鍋と悠斗の面倒を見る。悠斗は肉より焼き豆腐を好んだ。
鍋に食べ残しが出たが、青木は明日おじやにするのだとキッチンに運んだ。
「お肉が余っちゃった」 君子は言った。
弟ほどには二人とも食べない。
青木が皿を盆で運び、君子は座卓を拭いた。
「佳苗は」 小山内が言った。
君子は一瞬手を止めそうになったが、堪えた。
構えたら小山内は黙ってしまいそうだった。
「酒を飲んでいたか?」
「それなりに」 君子は注意深く答えた。「家では全然?」
「勧めた事もなかった」
青木が引き込まないわけがないと君子は思う。
だから佳苗は呑まないと決めていたのだ。
小山内は軽い衝撃を受けたように壁に凭れた。その膝に悠斗がよじ登る。
「誠也と ああ 青木な」
「知ってます」 一応夫なのだ。婚姻届も見た。
「誠也と話していて 気づいたのだが」
小山内は自分は佳苗の学生時代をほとんど知らないと言った。
君子の名前は何度か耳にしたが、他の交友を佳苗から聞いた事がない。
葬儀に自分しかいなかった事を君子は思い出した。
ずっと同じクラスだったわけではない。
それぞれにつきあいがあった。佳苗は人当りはいい方だ。
だが小山内が見つけたのは殆どのページが破り取られているアドレス帳だと言う。
「結婚するとつきあいにくくなるって言ってたな」 君子は思い出す。
自分は独身なので分からない。
だが確かに複数の既婚の友人と同席した時に、気まずさを感じた事はあった。
結婚相手や、子供の有無などから生じる温度差が時に場を重くする。
独身の君子にはそれを楽しむ余裕もあったが、
佳苗には煩わしいものでしかなかったかも知れない。
彼女の交友はまた、君子のそれよりその色が濃そうでもあった。
「佳苗には羨ましがられる要素の方が多いのに」 
君子は室内を、気持ちの上では家全体を見回す。
「自分の一番幸せな時はいつだったと思う?」 小山内は訊いた。
「え? 私?」
君子は真剣に答えを探す。
「たとえば 学生時代に戻りたいとは 思わないか」
それは小山内の真意に触れる機会でもあったのだが、
学生時代を振り返るのに君子は忙しかった。
教室や図書館や通学路。
あれは思い出になったから輝いているのだ。
現実に戻れば道端の日常に戻るだろう。
一生を同じ時間の中で繰り返すというのなら選ぶのもいい。
だが戻ったところで何も変わらない。
やり直す事もやり残した事もない。自分は結局同じ事しかしない。
「懐かしいけど それだけだわ。今も同じ程度には不幸でない状況だと思う」
「不幸ではない? それはまた消極的な表現だね」」
「この設定を幸福と呼ぶほど 私 ひねくれていない」
それを自分のものとしていた佳苗でさえも、切ないと訴える。
夫と子供と家。
「では 小山内さんの一番幸福な時はいつ?
これまでの人生の中で 確かに幸せだったと言える瞬間は?」
「それは」 小山内は口を開いた。
言うべきことを持っている切り出し方だった。
だが彼は黙ってしまった。
悠斗を見る。悠斗は父親と目線を合わせ、何を思ったか立ち上がった。
そしてキッチンの方へと走り去ってしまった。
子供が生まれた時。
小山内が答えようとしたのはそれかも知れない。君子は思う。
至極まっとうなその答えを、彼が口にしなかったのはなぜだろう。
君子は出産祝いを携えて、この家を訪れた時を思い出す。



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by officialstar | 2012-07-25 09:32 | 星を問う
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