烏鷺

bbbrats.exblog.jp ブログトップ

星を問う 11


知らなかった。知る機会も勿論なかった。
青木は兄弟の中でひとり、母親の違う子供だったのだ。
複雑な家庭を君子が思い浮かべていると、青木はそれを打ち払う。
ごく普通の家だよ。兄貴たちとも普通だよ。
ただ自分は末っ子で、母親にしても実の息子の方が気安いから、
傍にいるのは一番上の兄で、自分がそれに代わる事はまずないだろう。
それは君子にとって悪い情報ではない筈だから詳しくは言わなかった。
遊んだ末の、自分の母親が最後の女になったようで、
父はそれからは家庭に戻ったし、養母となる母も自分の子と同じに育てた。
すぐ上の兄とも歳が離れているから、末っ子相応に可愛がられもした。
青木は屈託なく話す。
実母が彼を青木家に戻したのが、ちょうど今の悠斗ぐらいの時。
結婚相手が見つかったのがその理由だったらしい。
「青木の家に引き取られてからの方がいい暮らしだったけど
暫くは迎えを待ってたかな。いい子にしていたのは青木の両親に媚びてじゃなく
そうしていたら母が戻ってくると思ってたからな気がする」
初めて駄々をこねた時、養母は彼を抱き締めて泣いたと言った。
その時はその涙の意味は分からなかった。
君子は改めて青木を見る。
だがどれほどに見据えても、そこに陰は見えない。
「ただね」 青木は言う。「この人が本当のお母さんだったらと思う事はあるよ」
それすらも、幸福そうに青木は語った。

「小山内さんは知ってるの?」
「いや? 話した事ないと思う」
「どうして」
「機会がなかったからさ」 それだけと肩を竦めた。
特別な幸運でないように、特別な不幸でもないという事なのか。
辛くなかった筈がないと君子は、その片鱗を青木に探る。
青木の掴みどころのなさの理由はもしかしてそれなのか。
「小山内さんの浮気を 咎めないのはそのせい?」
「そうなのかな? 男同士だからじゃないのかな。たとえば君の弟だったらどうだろう」
「独身だもの」
「青木の家に入ってから親父は落ち着いていた。俺は浮気中を知らないし。
ふたりは普通の夫婦に見えたよ。母さんが賢明だったのかも知れないけど
親父も母さんに優しかった」
「それで どう思うの」
「何が」
「男の浮気」
「それが知りたくて 今こうしているのに」
青木に見つめられ、君子は目を逸らす。
何があっても浮気にはならない。自分たちは夫婦どころか恋人同士ですらない。
この結婚に、青木はまだ何の意義も見つけられない筈だ。
小山内の家に留まる以外には。
「でも それなら もう結果は出てる」 君子は呟く。
その独り言を青木は丁寧に拾った。
「言っただろう。後ろめたさは むしろ佳苗さんの方にあった」
「佳苗は浮気なんかしない」
「目に見えているものは もう見えているんだから要らない」
「あなたは?」
「俺が?」
「私にあなたを縛る権利はないと分かっている。
あなたがいつか 伴侶と決めた相手と出会って その時に」
「男は同時に二人以上を愛せると誰かが言っていなかったか?」
「そうなの」
「さあ。ひとりさえ愛した事がないのに」
「小山内さんは 篠原を愛していた?」
「本人に訊けばいい。その権利はあると思う。少なくとも俺に探るよりはいいだろう」
そうだ。自分はこの家に来てから、小山内とまともに口をきいていない。
事務的な事と、悠斗に関する事。
小山内が悠斗を愛している事は伝わってくる。
悠斗は気まぐれに父親と一緒に寝たがった。
それが週の半ばでも小山内は嬉しそうに迎え入れる。
一方で君子に懐く事も歓迎している。
子供の、ありのままを受け容れられる父親なのだ。

青木と並んで座り、悠斗と戯れる小山内を見ている。
幸福な絵に、佳苗はどうして満たされなかったのか君子は疑問に思う。
切なくて。何が。
自分の生んだ子供が夫に愛される。経験がない君子にも、その喜びは分かる。
それでも尚、切ないというのは、夫の気持ちが自分にないと気づいたから?
君子は友人に問いかける。訊いてもいい?
自分にその権利があると青木は言ったが、本当にそうなのだろうか。
「あなたは」 君子は口を開いた。「佳苗を愛していた?」
青木は席を立って悠斗を抱き上げた。
「冷蔵庫に何があーるか」
悠斗は高い声で笑った。
小山内は二人の姿が消えるのを黙って見ていた。
君子は言い換えた。「篠原さんを好きなんですか」
小山内の視線が戸口から君子に移った。
君子は真正面に射竦められた。心臓を掴まれた気がする。
嫌悪とは違う。憎悪とも感じられるが、それとも違う。
冷たく、どこか憐れむような、と同時に批判と絶望を含んでいる眼差し。
君子は怒りを覚える。しかしそれを露わにしようとした瞬間に、
小山内に捨てられた仔犬の寂しさを感じた。
「青木さんは 私には知る権利があると言いました」
それが免罪符になると思っていたわけでも、それをかざしたかったわけでもない。
他に何も言えなかっただけだ。
小山内の表情は悲痛に歪み、それが突然溶けた。
ため息に全部を流し、「君は」と言った。
「君たちは人を愛したことがないんだ」
攻撃性を毫も感じさせないその口調に、君子は打ちのめされた。



次へ
[PR]
by officialstar | 2012-07-20 13:03 | 星を問う
line

小説


by officialstar
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite