烏鷺

bbbrats.exblog.jp ブログトップ

星を問う 10


夜明け前泣き出した悠斗を抱き寄せようとして
シーツが濡れている事に気づいた。
おむつはとうに外れて、夜尿の癖もないと聞く。
ジュースか何か飲ませすぎたか、環境の変化なのか。
夜は父親である小山内と寝かせた方がいいのだろうか。
所詮自分は他人で、なまじ女性であるだけに母親を思い出させるのか。
落ち着かせた後、着替えと後始末をしながら君子はあれやこれや考える。

前日小山内は自分で支度して出社するので起きなくてもいいと言った。
悠斗と一緒に起きてゆっくり過ごしてくれと。
君子はそれに甘えて、悠斗が動き出すまで布団から出なかった。
ふたりの着替えと洗面を済ませて一階に下りる。
佳苗の位牌の入った仏壇に手を合わせていると、コーヒーの香りが漂ってきた。
食堂で青木が待っていた。
「おはよう 奥さん」
カップに注いで君子の前に置く。悠斗のジュースを冷蔵庫から出す。
「ベッドまで持っていくのが夢だったんだけど 殴られるのは嫌だから」
「ああ 素敵ね。憧れはするわね」 君子は言った。
本心から言っているのに、声に抑揚がなかった。
「眠れなかった?」
君子は気がかりな視線を悠斗に向ける。
無邪気にジュースのカップを傾けている。
青木はそれ以上は訊かなかった。かわりにパンの焼き加減と卵料理の好みを訊く。
食パンならよく焼いて卵は目玉焼きと言いかけて君子は慌てて立ち上がった。
「私が」
「休みの日は いいよ 俺がやる。目玉は片面? 両面?」
「何それ」
「ひっくり返すかどうかさ。黄身は半熟ぐらい?」
「固まるぎりぎり」
「悠斗はゆで卵だよな?」
「目玉がいい」
はいはいとキッチンに向かう。その背中を君子は唖然と見送る。
それから悠斗に「ちょっとごめんね」と声を掛けて後を追う。
「座っていたらいいのに」と言う青木に、
「ついでに置き場所とか覚えておくの」と言った。
青木の手際も見たかったし、そもそもが目玉焼きも満足に作れるかどうかなのだ。
小学校で習った。油をフライパンに入れて……
じゃなかった。フライパンを温めて。
「卵はね 低い位置から落とした方がいいんだって。どうしてか知ってる?」
「知らない」 低い位置の意味も分からない。
「そうか。俺も知らない。えっと片面でよかった?」
「両面を食べてみたい」
弱火にして暫く待つ。その間に君子は小声でおねしょの事を言った。
「悪い兆候じゃないと思う」 軽い調子で青木は言った。
「どうして」
「なんとなく。気になるのなら今晩寝る前に訊いてみるといい」
「何て」
「父親と寝たいかどうか」
「ああ」
青木が断定的に言ってくれたので君子は何となく安心した。
「そろそろパン」と青木が言った。
君子は食パンをトースターに入れて目盛を合わせる。
その間に青木は悠斗の目玉焼きを皿に乗せ、残った分をひっくり返した。
リズムをとって小刻みに首を振り、皿に移す。ざるにあったレタスを添えた。
「運んで。すぐにパンも持っていく」
二人にトーストを供した後、一度キッチンに戻った青木は、
スクランブルを乗せたパンを持ってテーブルに着いた。
それはそれで美味しそうだった。
「どこで覚えたの。好きなの」
「強制されない間は楽しい」
「目玉焼き おいしい」
「時間を掛けるのがコツさ。主婦はダメだよね 忙しいから」
誠意なのか。女扱いが巧いのかと君子は思う。
どちらでもいい。料理がおいしい事に変わりはない。
「この結婚 私に有利ね」
「それはよかった」 青木は笑う。

休暇の間に予定をこなした。婚姻届も出した。
もろもろの手続きをし、記された「青木君子」の名前に見入る。
あおききみこ。座りの悪い名前。
この結婚自体不安定なものなのだから、それも仕方ない。
青木の私服はどうにもちぐはぐで、然程にこだわらない君子の目にも
あまりしっくりとはこなかった。
だがその上背と、独身男性の軽やかな雰囲気は並んで歩くには気持ちいい。
これが自分の伴侶だと君子は自分に言い聞かせてみる。
君子が夕食の支度をしているのを見て、青木は「やっぱり」と言った。
その意味は問うまでもなかった。
「休暇の間じゃ足りないね 小山内には俺が言っておくよ。
ふたりとも我慢強い方だと思う。悠斗も 子供にしては なかなか」
「何? 何?」 自分の名前が出る度、悠斗は顔を上げて青木を見る。
「悠斗はいい子って言ったのよ」 君子が言う。
だが子供は変な顔をして黙ってしまった。
青木は微かに眉を寄せ悠斗を見下ろす。

母親は死んだという事は言葉では分かっているのだと青木は言う。
だがその心の半分で母親を待ってもいる。
戻ってこないのは自分のせいだと考える。
君子は訝しげに青木を窺う。大学名は聞いたが学部学科は知らない。
その探る目線を感じて青木は言う。
「理系だよ。親において行かれた子供の気持ちは 経験さ」



次へ
[PR]
by officialstar | 2012-07-18 09:50 | 星を問う
line

小説


by officialstar
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite