烏鷺

bbbrats.exblog.jp ブログトップ

星を問う 2


「お疲れ」と差し出された酒を、小山内は受け取った。
相手もグラスを持っているのを見て軽くそれを上げてみせる。
それを見て相手は無表情に言った。
「不謹慎だな」
斎場にいた青年だ。君子にハンカチを渡した。青木という。
式服を着たままだが帰る気はないらしい。どこか寛いで見える。
「そんなつもりはない」と小山内は不機嫌に返した。「ただ今日は世話になったから」
青木はどうでもいい顔をする。「悠斗は?」
小山内はグラスを持った手の人差し指を、相手を撃つように突き出した。
背後の和室を振り返る。「傍にいなくていいのか」
「これを飲んだら行くよ」
だが急いで乾すわけでもなく、両手にグラスを持って肘掛椅子に沈む。
暫くして青木を呼んだ。「誠也」 
「あ?」 グラスに新しい酒を注ぎながら、青木は声だけで応える。
「来てたな」
「由井原 だったか? 奥さんの友人だろう。悠斗が懐いていた」
「佳苗は君子と呼んでいた」
「では君子。彼女 どれくらい親しかったんだ?」
小山内は肩を竦めてグラスに口をつける。
式場に来ていた佳苗の友人は君子ひとりだ。
佳苗のアドレスに記されていたのはその名前だけだった。
中身を煽って立ち上がった。
「二階に全部出してあるから。足りないものはないと思う」
そう言って襖を開けた。
線香の匂いが濃くなる。子どものむずかる小さな声がした。
小山内の低い声がそれに被さった。
青木は境界となる敷居まで行き、襖に寄りかかって室内を見る。
祭壇に写真と骨壺。位牌。線香の筋が細く立ち上る。
その前に敷かれた布団で悠斗は寝ていた。
小山内は脱いだ式服をハンガーにかけようとして、やめた。
「お前のと一緒に 明日クリーニングに出して来よう」
「俺が行く」 青木は言って背を向けた。「明日まで休みをとった」
「悪いな」
いやと口の中で言い、「彼女は来ていなかったな」と抑揚なく言った。
小山内は着替えの手を止めて相手を窺う。
青木は手を見ながら指を折った。「職場から来ていたのは 同じ課の……」
「なあ」 小山内はそれを遮る。「あいつ 気がついていただろうか」
相手は顎をわずかに上げた。
「事故だよな」 小山内は言う。
戸口から離れながら青木は「事故だよ」と返し、そのまま階段に向かう。

翌朝は突き抜けるような空だった。
青木は風呂の支度をして悠斗を呼んだ。慣れているらしく悠斗は素直に従う。
小山内は朝食を作った。基本通りのものが出来上がった。
悠斗のジュースが切れていた。
幼児は牛乳が注がれたカップを覗き込んでいたが、黙ってそれを飲んだ。
まるで彼がそこにいないかのように、男二人は話す。
事務的なこと。
そして前夜話題に出た「彼女」のこと。
篠原というその女性は小山内の会社の事務員だった。
佳苗の後輩にあたる。大学と、職場での。隣の課で働いている。
「たとえば彼女にここに来てもらう事は可能か?」
小山内はきっぱりと首を振った。
「まあな」 青木は呟く。
悠斗をどうしたらいいだろう。小山内の両親は既に他界し、兄弟もいない。
叔父叔母はいるが近隣在住ではないし、もとより頼める関係でもない。
残るは佳苗の母親だが、小山内はそれも拒んだ。
会社に事情を言って定時に帰宅する。当面はそれで凌ぐしかない。
園に相談して延長保育を依頼し、誰か世話をしてくれる人を仲介して貰う。
「そんなところだな」
時々悠斗が顔を上げて、亀のように首を伸ばして室内を見まわす。
母親の姿を探しているのかも知れない。
だが口に出しては何も問わない。
佳苗の死後、悠斗が母を呼んだのは一度だけだった。
病院でベッドに横たわる佳苗を前に、父親を見上げて「お母さん?」と言ったきり。
泣かれるのも辛いが、泣かれないのも辛い。
「そういえば」 青木が言った。「ハンカチを返して貰っていない」
「何だって?」
「君子にハンカチを貸して それきりだ」
「汚れたから洗うつもりなんだろう」
「だから」 青木は遊び出した悠斗の前から皿を下げた。
目玉焼きからこぼれた黄身で絵を描いていた。
悠斗は口を尖らせたが、その口をマグカップに隠した。
電話が鳴る。
青木は、ほらという顔をした。小山内は立ち上がり、息子の頭に手を置いた。
登園準備をしておけという事だ。悠斗は椅子から降り、ぱたぱたと走り去った。

「由井原です」 君子は言った。「昨日はどうも」
「ありがとうございました」と小山内はその後を引き取って言った。
「悠斗くん どうですか?」
「まだよく分かっていないのだと思います。元気です。今から園に行かせます」
可哀想だと君子は思った。
それは悠斗が、なのか、そんなにも早く日常に紛れてしまう佳苗の死に対してなのか。
「昨日 お葬式に見えていた方にハンカチをお借りしまして」
小山内は「それは僕の友人です。青木と言います。ここにいます。替わりますか?」と言った。
横でそれを聞いていた青木は友人の話し方を笑うように、拳を口に押し付けていた。
小山内自身にも分かっている。自然に話せない。
電話口に出た青木は。短いやりとりの中で小山内宅に届けてくれるよう言った。
「では それまで預からせて頂きます」 君子は言って電話を切った。




次へ
[PR]
by officialstar | 2012-07-05 10:37 | 星を問う
line

小説


by officialstar
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite