烏鷺

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星を問う 1


机の上に置かれた封書を手に取った。
字体を確かめるより早く裏に返す。
そこには君子の友人の名前が記されていた。
中学と高校時代を共に過ごした、一番の親友、佳苗。結婚して姓が小山内になった。
時々電話で話す。何を改まって手紙を?と引き出しから鋏を取り出した。
中身を切らないように丁寧に開封し、便箋を広げた。

何が悲しいのか切なくて毎晩のように泣いてます。
君子と過ごした学生時代に戻りたい。

蝉の声が急に遠のき、汗ばんでいた肌が冷えた。
文面に集中しようと息を吐く。その時。
電話が鳴った。
母が出る。君子は再び読み始めるが、何も入ってこない。
階下に聞こえる母の声を意識が追っている。どうせ何かの営業だろうに。
だが受ける母の声が張り詰め、階段を上る足音に変わる。
「君子」
嫌だ。君子は思う。嫌だ。その電話は私にではない。私は出ない。
ドアが開く。子機が差し出される。君子は首を振った。


葬儀場は劇場に似る。
そこに立つ人々はそれぞれの役を演じる。
喪主は喪主の。弔問客は弔問の台詞を暗記する。
フォーマル姿の君子は親友を喪った振る舞いをする。
佳苗の夫のもとに行き挨拶をし、お棺の中を覗く。
穏やかに整えられた死に顔に「眠っているよう」と思う。
実際にその死はまだ認識されていない。ここは現つの世界ではなく、
自らも観客の舞台である。
喪主を務める小山内の横に小さな男の子が立っていた。
父親のズボンを握り、近づいては去っていく大人たちを見ている。
見上げるふたつの瞳に君子は初めて悲しみを覚えた。
まだ母親の死を容認したわけでもないだろう。非日常に怯える幼い眼差し。
進行役の人に呼ばれ、父親が動こうとする。幼児はその脚にしがみつき、動きを封じた。
おいでという父の声にも幼児は応じない。
君子は手を差し出して「お姉ちゃんと座っていよう?」と言った。
同い年の友人の子供であるならばおばちゃんが相応しい。
だがそれを指摘するには幼く、子供は黙って君子を見つめるのみだ。
「悠斗 くんだよね?」 屈み込み、目線を合わせた。
小山内の手が幼児の背中を押す。
「悠斗くんがうんと小さい時に会った事あるよ。ひよこのタオルケット 知らない?」
「好き」
「それ お姉ちゃんがあげたんだよ」
悠斗の手がズボンを離した。君子は幼児を小山内から引き受けた。
4歳。5歳だろうか。君子は記憶を手繰る。
佳苗に出産祝いを届けに行ったのは何歳の時だった?
悠斗は大人しく君子の横に座って足をぶらつかせていた。
俯いた後頭部を見下ろし、小さな肩に手を置いた。
葬儀は滞りなく過ぎ、君子は佳苗の実母に請われて斎場まで行った。
悠斗はずっと隣にいた。
小山内の身内は殆どいなかった。もともと係累が少ないと聞いている。
何人か男性が小山内に話し掛けた。会社関係か親類か分からない。
傍らの佳苗の母に訊けばいいのだろうが、悠斗から目を離したくなかった。
幼児は目をいっぱいに見開いて周囲を見ていた。
今は分からなくても、いつか分かる日のために焼き付けておこうとしているかのようだった。
それは単に幼児の好奇心であったのだろうが、
子育てを知らない君子には子供の気持ちは分からない。
突然悠斗が泣き出した。
火のついたよう、という比喩を思い出し、君子は戦慄する。
或いはその瞬間だったのかも知れない。君子はしゃがみこんで悠斗を抱き締めた。
「泣かないで」 だがそれを口に出すのはあまりに子どもが憐れだ。
君子は心の中で繰り返し、せめてもの慰めに悠斗を抱き締める。
やがてそれはしゃくりに変わり、君子は抱擁を緩めた。
小山内がこちらを見ていた。
その横に立っていた男性が君子たちの方に近づいてきた。
しゃがんだままの君子の前に立ち、ハンカチを差し出した。
君子はわけが分からず、その青年を見上げていた。
黒い服が似合いすぎる。
「拭きなさい」
君子はハンカチを受け取り、悠斗の顔を拭いた。
だがその涙の大半は君子の服が吸っていた。
「子供じゃない」 青年は言う。「君の だ」
君子は指で頬に触れた。そして自分が泣いていた事に気づく。
彼女が顔を拭くのを見て青年は小山内のところに戻った。
小山内の兄弟か、友人か。君子は思う。小山内の事を君子は何も知らない。
斎場から戻り、初七日の膳についた。
隣に座る佳苗の母が「事故なんだよ」と言った。
「歩道の縁に立っていたみたいでね…… 運転手は車道に出てたと言っているけど」
君子が何も答えられずにいると「事故だよ」と繰り返した。

事故かも知れない。
だが何を考え込んで、歩道の縁で信号待ちをしていたのだろう。
佳苗は学生時代に軽い事故を経験している。交差点では他の人間より慎重だった。
車道の際に立って何を見ていたのか。
寝不足でふらついて一歩を踏み出したのかも知れない。運転者が正しいのなら。
何かを思い煩い、生存本能が薄れていたと考えられなくもない。
いいや。
君子は悠斗を見る。そんな筈はない。こんな可愛い子がいるのに。
小山内を見る。理想と言われた結婚をしておいて。

切なくて毎晩のように泣いています。

君子はその続きを読んでいない。




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by officialstar | 2012-07-04 09:49 | 星を問う
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