烏鷺

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優奈 2



彼は再び肘をつき、頬を支えて私を見た。
目の横にしわが寄って違う顔に見える。
「今日初めて会ったんだよね」
無遠慮を咎められたのだと思った。
私は「ごめんなさい」と言った。
「いいよ」 彼は私の後ろのドアを見ていた。「たいした話じゃない」
だが彼は答えなかった。
もう待っても無駄だと諦めかけた時に「病気」と言った。
その一言にそんなに努力を要した理由が分からない。
彼はまた私の後ろを見て「心の」と言った。
そして立ち上がった。
「さあ 気は済んだかい? 僕が独身寮にいるのはそういうわけだ」
なんとなく私は振り返る。後ろにあるのはやはりドアだ。
彼が動き出す。私は会話を引き延ばしたくて言った。
「引っ越してばかりって言ってたね?」
「母さんが死んでからね。思い出すのが辛いって一度。学校を変わるために一度。
そして半年でここだ。最初の引っ越しで荷物を整理してしまったから楽だけどね。
おかげで何もない生活だ」
嫌われた。
彼の態度は急激にささくれ、言葉はますます投げやりになった。
私はうなだれて「ごめんなさい」と言った。
立ち止まり「僕の口のきき方辛い?」と訊いた。
「辛いって何?」
「傷つくって事かな」
「私より おにいさんの方が え 辛い? みたい」
彼は私の横まで来ていた。肩を二回叩いた。
渋々椅子から降り、玄関に向かった。
「お母さん いた方がよかった?」
「昔の母ならね」
「昔って」
彼に背中を押されて、私は靴を履いた。
とんとんとやっていると彼が言った。
「弟が いた頃」
私は思わず彼を見た。
「いたの?」
「昔ね」 そして言う。「君と同い年だよ 3年生なら」
私の体はもう廊下に出ていた。でも気持ちはまだ家の中だった。
彼は靴を履いて外まで私を送った。
たくさんの事を訊き忘れた気がした。
「喋り過ぎた」 彼は言った。
「私は全然足りてない」
「女の子だね」
「おにいさんとだからだよ」
彼は曖昧に手を振った。またねと言うのを迷っているように私には見えた。
希望的観測でもなんでも。


次の週、同じ曜日の同じ時間に私は待ち伏せをした。
結局姉には何も報告しなかった。
家の中は相変わらずで、喧嘩の声は減ったけれど空気の温度はぐっと冷えた。
姉も私もどうしていいか分からず、どうする気もなくしていた。
その反面で、自分が諦めたら何もかも終わるという事は感じていた。
母は私に「どちらを選ぶ?」と訊いた。
父さんが私を嫌いならば選ばれたくはないだろう。
でもそれを父に確かめる機会はない。自分がどうしたいかも分かってはいなかった。
ただひとつはっきりしていたのは転校は嫌だという事だった。
「今日は何?」 彼は言った。
「来ちゃダメだった?」
「ガラスのコップを買ったよ」 そう言って中に入っていく。
私がついていくのを止めない。
玄関を入って食堂の椅子に座る。
彼は後ろのドアを開けて入って行った。
着替えて出てきて、冷蔵庫を開ける。グラスにジュースを注いでくれた。
白い皿にスナック菓子を出す。
「君ぐらいの女の子はみんなそうなの?」
「知らない。お姉ちゃんは違うかな お姉ちゃんは私と違って子供じゃないもんね」
「いるんだ」
「おにいさんと同い年だよ。同じクラスだよ」
彼は名前を訊いた。私が答えても反応は鈍かった。
かわりに下の名前を呼んでくれた。「優奈ちゃん?」
必要以上に「う」の字を伸ばして「ゆぅーな」と呼んだ。「ちゃん」がくすぐったい。
「お姉さんと仲はいいの?」
「ふつう」
彼はまた押し黙る。
私がお菓子を食べていると、「普通 か」と言った。
暫くしてまた「普通」と呟く。
「でも お父さんとはよくないよ」
彼がまた辛そうだったので私はそう言った。
でも、たいした慰めにはならなかったようだ。
彼は苛立った様子を見せた。
「僕はね 僕がどうすればいいのかは分かってるんだ。
つまり父さんの気に入るにはね。僕が普通にしていればいいだけなんだ」
「普通じゃないの?」
「君は お姉さんが」 言いかけて彼は口を噤んだ。
顔を顰めて「お姉さんと離ればなれになったら どうする?」と言った。
その頃私が心配していたもうひとつの事はそれだ。
姉は父と母とどちらを選ぶのだろう。平等にひとりずつという事になったら。
「嫌かも」
「かも か」 彼は、その言葉はずっと後になって知ったのだが「自嘲」した。
その笑みの理由を、だから私は分からずにいた。
「君はいいね」
「え?」
「君はいい」 食べるのをやめた私に彼は皿を押し遣った。
空になったコップを指さし問うように見る。私は頷いた。
彼が引き止めてくれる間はここにいたい。
「学校 楽しい?」
「楽しいよ」 学校はね。「お兄さんは楽しくないの」
「それなりに楽しんでるよ」
彼は次第に声の棘を鋭くしていった。
それでも私がそこを離れないのは、家に帰りたくないのと、
あと心のどこか、深いところで彼のそれが八つ当たりに過ぎないと分かっていたのだろう。
私は、その日もその後で彼が確かめたのだが、それほどに「辛く」はなかった。
彼の心が痛いのが痛かっただけだ。




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by officialstar | 2012-06-29 10:52 | DOLL
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