烏鷺

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優奈 1


学校帰りに一緒になることはそんなになかった。
中学2年の姉と家に向かっていると、前を歩いていた人が突然曲がった。
学生服を着た、たぶん姉と同じ学校の生徒。
姉が「あれ?」と呟く。
「何? どうしたの」
「だって ここ独身寮じゃん?」
意味が分からず姉をつつくと、姉は大人ぶった顔で見下ろした。
「今の私の同級生なの。ここは独身の男の人しか住んでないのに変でしょ」
建物を覗き込む姉の視線を追って私も玄関のガラスをじっと見た。
入っていった人影はもう見えない。
「変だなあ」
だがそこで不思議がっていても答えは見つからない。
再び家に向かって歩き出した。
「同じクラスなの?」
「新学期が始まってから転入してきた」
「仲いいの?」
「まさか」 奇妙な否定が入っていた。男子だから?
「どんな子」
「まあ 普通? 頭はいいみたいだけど。あんまり目立たない」
「ふうん」
仲がいいわけでも気になるわけでもないのならどうでもいいのに。
姉は一度振り返った。
首を振りながら前を向き、独り言で「まあいいか」と言った。
家に近づくとだんだん足が遅くなる。
ひとりの時もそうなのだが、姉がいても同じだった。
最後の角で姉は私を見る。私は「仕方ないよ」と呟く。
「今日は少しはいいといいな」
「昨日よりはきっとまし」 姉は私より遅く帰ったから知らない。
前日は家に入るなり母親のすすり泣きが聞こえてきた。
たとえ今日もそうだとしても、姉と一緒だからまだ、きっとまし。
でも所詮そんなのは小学生の希望的観測。
玄関を開けて「ただいま」と言ったが、反応はない。
靴を脱ぎながらアンテナを張る。二階から降りてくる足音。
母は両手に枕と肌掛け布団を抱えていた。
訊くべきか知らない顔をすべきか。
「お母さん 今日から一階で寝るから」
訊くべきか知らない顔をすべきか。
迷っているうちに母は私たちの前を通り過ぎ、和室に入っていった。
「まあ 真夜中に喧嘩されるよりは」 姉が言った。

それから一週間も経たない頃だったと思う。
私はまた独身寮に入って行く中学生を見かけた。
思わず小走りになって追いかけた。顔が見たかった。
その人影は入り口で立ち止まり、振り向いた。
ランドセルの中の筆箱が鳴っていたから、そのせいだろう。
「えっと」と、その人は建物のドアを見て私を見る。
「独身寮」 私は言った。
「そう」
「何で入るの?」
「ここに住んでいるからさ」 
「だって独身寮なんでしょう」
暫く私を見てから言った。
「僕だって独身だけど?」
言って笑った。
それほど笑うような事じゃないのに笑った。全然楽しそうな笑いじゃなかった。
「何年生?」
「3年。おにいちゃんは知っているよ 2年生でしょう」
「おや」
隣を男の人が通った。その人は彼の頭に手を乗せて髪をくしゃくしゃにした。
ここに住んでいるのだ。ちゃんと。
「でも どうして?」
彼はうーんと言った。「一部屋だけ家族用のところがあるんだ」
「特別なの?」
姉に報告したくて私はしつこく確かめた。姉に自慢できる。
その心の奥には家に帰る時間を少しでも遅らせたい気持ちがあった。
彼はドアの向こうを見て、「女子禁制なんだけど」と言った。
「子供はいいか」
「私?」
「おいで。見せてあげるよ」
彼の手招きに私は飛びついた。
ポストから郵便物を取り出すと、彼は一番手前のドアを開いた。
「ここはもともと管理人部屋なんだ」
中は普通のアパートのようで、短い廊下の向こうにLDKがあった。
彼がその食堂テーブルの椅子に座ったので私もそうした。
「こことそっちに部屋がある。今通ってきた廊下に洗面所と」
「ええっと 2LDK?」
「あとサービスルームね」 彼はまた笑う。「納戸」
「家族で住んでるの? 独身寮なのに」
彼はテーブルに肘をつき、その掌に顎を乗せて私を見ていた。
「一般の寮は居辛くて」
「どうして」
「家族で住んでいるから」
私の理解を待つ気もなかったのだろう。彼は続けて言った。
「僕のところは 父とふたりきりなんだ。家庭の声が辛いんだ。
会社がここを用意してくれた。なんか 引っ越しばかりしてる」
早口に言ったから、重要な事実を私もさらりと流してしまいそうになった。
訊いた事を巻き戻す。「お母さんは?」
「死んじゃった」
私は椅子に深く腰掛け、脚を振った。
お母さんがいない。お父さんとふたり。家族じゃない。
「寂しい?」
「慣れたよ」
「でもわざわざ引っ越して来たんでしょう」
「その方が僕にいいと思ったんだ」
「誰が?」
「父さんが」
「そうなの?」
「さあ」 彼は肩を竦める。「どこでだって同じだと思うよ」
私は彼のなげやりな口調が気になった。
「お父さんと喧嘩する?」
「いや」 彼は俯いた。「もう あまり」
「お父さんが嫌い?」
「僕の方がじゃないよ。父さんが僕を好きでなくなったんだ」
そんなわけないと私は思った。彼のために独身寮に越して来たのだもの。
だが私はそれを言えない。
私の父親も私たちの事を好きでないのだと、母は私たちに言った。
親が子供を嫌う事があり得ないとは言えない。
どこかで同類を探していたのかも知れない。
自分が特別不運だとは思いたくない。
「お母さんはどうして死んじゃったの?」 私は訊いた。




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by officialstar | 2012-06-28 09:25 | DOLL
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