烏鷺

bbbrats.exblog.jp ブログトップ

さえ 4



クリスマスが近づいている。
本当は暦は受験を中心に見なきゃいけないんだけど、やはりクリスマスは特別なイベントだ。
週2回の通塾に加えての冬期講習もあるけれど、それでもやっぱりクリスマスはクリスマス。
なので彼にささやかなパーティを提案してみた。
「おあずけ と言うほど野暮でも鬼でもないけど」
彼はカレンダーを壁から外した。
「でも そんな余裕があるなら まず友達に振り分けなさいね」
ペンのキャップを取り、私が出した塾のスケジュールを書き込む。
殆ど残らない余白に今更に溜息が出る。
「24日は空いてるのよ?」
「家族と過ごしなさい」
彼の言葉は全てを穏やかに断定する。私は黙るしかない。
「じゃ…じゃあ その前の授業の時 ちょっとだけ」
「それは構わないよ」 彼はカレンダーを壁に戻した。「ケーキは僕が用意しようね。後はチキンと?」
「適当に持ってくる。うん ケーキをお願いします。後は任せて」
「君に? お母さんに?」
私が答えられないでいると彼は笑った。「お母さんに 頼みたいね」
では私はプレゼントを。心の中でそう考えた。

迷って結局マグカップにした。
私はそれをペアと単品とで購入した。
同じ色のをふたつ兄弟に。ペアになるカップを手元に。
弟と彼はおそろいになるけれど、彼とペアになるのは私。
母の飾ってくれた重箱をテーブルの真ん中に置き、
彼が奥の部屋からクリスマスツリーを運び終わるのを待った。
コンセントを差し込んで終了だ。弟は既に椅子ごと移動済み。
誕生日と混同して私はケーキの時にプレゼントを渡すつもりになっていた。
それで彼に先を越された。
「メリークリスマス」と言って彼は小さな包みを差し出した。
開けて私は驚いた。
十字架の飾りのついた鎖は、決して安物ではない。指で摘み上げれば私にもそれは分かる。
「どうも 親御さんから頂き過ぎている気がしてね」
彼は言った。
「合格祝いで奮発できればいいけど 分からないから」
お礼を言えばいいのか反論すべきなのか、
どちらのタイミングも逸してしまって私は「ええ どうしよう」としか言えなかった。
「気に入った?」
「とっても」
「それが一番だ」
私は鞄からマグカップを出した。彼の前と弟の前に置いた。
「うわお」と彼は喜んだ。「女の子が選ぶとこういうのになるんだね」と言った。
ふたつテーブルに並べ、今日はこれでコーヒーを飲むのだとはしゃいだ。
彼のその笑顔は私の心をときめかせたが、ふたつのカップがそれを痛みに変えた。
年頃の女の子の私を必要としているのは誰なのだろう?
自分でもよく分からない疑念が、その時胸を過ぎった。

年が明ければ受験も本番だ。
私立の志望校を決定し出願。そして受験。
バレンタインだった。
電話で結果はその日に伝えたが、私は合格通知をもって14日に彼のところへ行った。
「わざわざ見せてくれなくても」 
それでも彼は名前を嬉しそうに確認した。
「さえ って最初漢字だと思っていた。冴子。
会った日 君が一度だけ うっかりと自分の事 さえ って呼んだ時 その文字が浮かんだ。
だから後からひらがなだと知って 意外に感じたよ」
「冴の字には牙が入っているから父親が嫌ったの。
他の漢字を使うっていう発想はなかったみたいで ひらがなで さえ。ちょっと間抜け?」
「優しいよ」 通知の名前を指で撫でて彼は言った。
そして私に返した。「おめでとう。でも本命はこれから だろう」
私はそれは聞こえない振りをした。
鞄の中からチョコレートの包みを出す。
「セントバレンタイン」
「おや」 彼は躊躇も見せず受け取った。「女の子だね」
社交辞令と思っているに違いない。もうひとりの生徒からも渡されたら迷わず貰うだろう。
私は言った。「それが 『本命』 だから」
「え?」
「高校受かったら 生徒じゃなく 会って下さい」
彼の手の中で包みが揺れた。落としそうになったそれを彼は持ち直し、改めて見つめた。
「返事は合格発表の後でいいです」
「それは」
私は一礼をしてドアから出ようとした。
だが彼は一瞬早くそれを押さえた。
「違うだろう。嘘だろう」
「聞きたくないもの」 私は鞄を脇に挟んで両耳を塞いだ。
聞きたくなかった。聞くまでもなかった。彼の返事は分かっていた。
それでもあと一ヶ月夢を見ていたい。試験が終るその時まで。
数秒膠着が続いたが、彼はドアから手を離した。私はそれを開けて外に飛び出た。
エレベーターを使わず階段を駆け下りる。息が限界になるまで走り続けた。
苦しさが呼吸のせいになるまで足を止めなかった。

公立日程の、直前の講義。
時計を見て彼はテキストを閉じた。
「頑張ったね」
「ありがとうございました」
「今日で最後だ」
「弟くんに」 私は勢いよく言った。「挨拶 してきて いいですか」
「勿論」
彼は立ち上がると部屋の入り口まで一緒に来た。
私が入った後、彼はドアを閉じた。彼が閉めなければ私が自分でそうしていただろう。
椅子の前に立つ。
何も言う事は見つからない。
人形の透明な、濁りのない、決して穢れる事のない瞳を見つめた。
生きているかのような皮膚や頭髪に較べて、そこだけはあまりに無機質だった。
私は顔を近づける。私の息が人形の肌に当たり、私に返ってくる。

口づけた。それは私の初めての接吻だった。
そして弟にとっても初めての接吻であったに違いない。


合格通知が来た。
報告は最後の報酬と共に母が届けるだろう。





さえ 完
[PR]
by officialstar | 2012-06-27 15:33 | DOLL
line

小説


by officialstar
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite