烏鷺

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達央 4


予想どおりそれはたいした事ではなかった。
彼の家は三階の奥で、人通りは少ない。
人形は勉強机の椅子からベッドに動かされていて、僕は椅子に座って人形に挨拶する。
話す事などないから、椅子を回して室内を見る。
出発前に片づけていったのだろう、殺風景なくらいだったが、
本棚はそのままだ。僕はその背表紙を読む。読もうとする。漢字が難しい。
そのうち独り言が出るようになる。
人形がそれを聞いている。
僕は彼の事を喋る。会えないでいると彼はますますいい人になり、
彼が本当のにいさんだったらと僕は思う。そう呟いて人形を見る。
人形は彼に似ていない。

夏休みが終わる少し前に彼は帰って来た。
日に焼けていた。「健康的だろう?」と皮肉っぽく彼は言った。
僕は訊いた。「弟 抱っこした?」
「したよ。君とたくさん話せて喜んでいたよ」
嘘だ。
僕は人形を見ているうちに段々と腹が立ってきたのだ。
宿題をしなくてもいい。手伝いをしなくてもいい。何もしなくていい。
彼がそばにいない勉強は味気なく、加えて母親の期待が重荷になっていた。
上がってようやく平均という成績だから、二学期はもっと頑張らないとねと母は言う。
夏休みは大事だと何かの受け売りで僕を責める。
人形の前に座って僕は散々に愚痴を言った。八つ当たりをした。
「お前はいいよな。何もしなくていいんだから。座っていればいいんだから」
午前中にやらされた問題を「お前に出来るか」とぶつけた時もあった。
三歳の人形はベッドカバーの上に転がり、無表情に僕を見ていた。
弟にとって僕は嫌な奴だっただろう。
僕の方にしてもそうだ。彼の弟というだけでは好きになれない。
むしろその逆だった。
何もしないくせに彼にこんなにも大事にされている。
父親に逆らってまで彼は弟を守ろうとしている。
親戚の家にいる間中きっと気にかけていたんだろう。
毎日毎日弟の事ばかり考えていたんだろう。
弟が寂しがるから部活もやらず、友達とも遊ばず。
そんなにして貰って人形は何もしない。何も返さない。
何の努力もなしに、ただ愛されている。
「これからも」 彼が言いかける。その先は僕には分かっていた。
僕は遮る。「嫌だ」
彼の傷ついた顔は、それ以上に僕を傷つけた。だがもう引き返せない。
「仲良くなんか出来ない」
「達央くん?」
「人形じゃないか! 人形じゃないか。ただの人形じゃないか!」
僕は叫び、玄関のドアに突進した。
彼の手が伸びる。捕まるまいと僕は勢いよくドアを開いた。
いつもはそんな開け方はしない。
廊下の気配を窺ってからそっと開ける。
だがその時はそんな余裕はなかった。
ドアから飛び出した僕は、廊下にいた人とぶつかった。
それでもそのまま走り抜けようとした僕を、その人影が捕まえた。
「やっぱり」
母親だった。
僕は驚いて声も出ない。僕の家は二階だ。どうして。
「やっぱり」 母は繰り返す。「あんたがこの家に入っていくのを何度か見たって」
暴れる僕の両腕を掴み、顔を覗き込む。
「今日もいつの間にかいなくなるから」
「宿題はやったよ 言われたことは全部やっただろ」
「そうじゃないわよ。鍵。鍵まで自分で開けてたって どういう事」
誰かが告げ口したのだ。階と部屋の番号を母に教えたのだ。
「知らない。どうだっていいだろ」
「いいわけないでしょ!」
「すいません」 彼が割って入った。「すいません 僕が頼んだんです」
母は僕の腕を離し、だが逃がすまいと僕の手をしっかりと握った。
「どういうこと」
彼が話し出すのを僕は大声で止めた。言葉なんて思いつかない。喚き散らした。
音痴な歌のような、奇声のような。
母が僕を叱る。
彼は負けない声で「花に」と叫んだ。「水を」
僕が黙ると彼は穏やかな声で母に言った。
「僕たちね 仲良しなんです。学校違うけど。それで頼んだんです」
子供らしさを交えつつ、だが責任ある立場も垣間見せ、彼は母と渡り合った。
母は口の中で反論めいたものを呟いたが、力はなかった。
「何か誤解されたり 迷惑をかけちゃったのなら ごめんなさい」
そう深々と頭を下げる。
下げたまま母の許しを待っている。
それは僕のためだったのだろう。だがその時僕にはそう思えなかった。
母親の前で無力に頭を下げる姿に僕は無性に腹が立った。
彼は大人に屈服してはいけないのだ。
誰も彼にそんな事を強制してはいけないのだ。
「謝るなよ! なんで謝るんだよ。あ あんな奴のためになんか!」
「達央くん」
僕は母の手を振り払って玄関のノブに飛びついた。
ドアを開けようとしたのだが、彼に止められた。
彼には僕の行動が予測出来たのだろう。僕にさえよく分かっていなかったのに。
「庇ってもらう権利なんかない。守ってもらう必要なんかない。
何もしない 何もしてない 何の役にも立ってないじゃないか!」
彼の手が動いた。
僕は叩かれると思った。
叩かれたって構わない。だが両腕は反射的に顔を覆っていた。
ドアが鳴った。僕の身には何も起きなかった。
額の前で交差させた腕から、彼を覗いた。
彼は泣きそうな顔をしてドアにぶつけた手に寄りかかっていた。
「何も しなくていいんだ」 彼は言った。
絞り出すような声だった。
僕は両手を握りしめ口に当てた。自分のしでかした事を自覚し、震え始めた。
それでも彼は、僕に微笑みかけた。
僕の頭に手を乗せ、力を込めて髪を撫でる。
「そこに いてくれるだけで」
何かを返したいと僕は顔を上げる。
だが彼は僕の頭を軽く突いた。僕はよろけて背後にいた母に抱きとめられた。
彼はドアを開けた。


引っ越しの車が停まっているのを見て、僕は三階に駆け上がった。
季節は秋で、彼が越して来てから半年しか過ぎていない。
だが僕の予感は的中だった。段ボールを抱えた彼がそこにいた。
彼は「いいカウンセラーのいる学校に行く」のだと言った。
父親らしき人が業者と話していた。
背の高い、痩せた男性だった。その人が彼を呼んだ。





達央 完
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by officialstar | 2012-06-25 11:39 | DOLL
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小説


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