烏鷺

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達央 2


入ってすぐが食堂、奥に二部屋。
引っ越して間がないせいか、生活感のない部屋だった。
彼は食堂の椅子を少し引いて僕を振り返った。
「着替えてくる」
僕は頷き、その椅子に座った。彼は左側のふすまを開けて入って行くと、
ぴったりと閉めてしまった。僕は食堂内を見回す。
食器棚は一段しか使われていない。コンロに乗っているのは鍋ひとつだけ。
部屋の様子は意外とよく覚えている。
水切りにはマグカップと皿。椅子の背にタオル。テーブルにはコーヒーの瓶と電気ポット。
サイドボードが壁に置かれていてテレビが乗っていた。
部屋から出て来て、彼は冷蔵庫を開けた。
ペットボトルを僕の前に置いた。
「ごめんね。食器とか 揃ってないんだ」
僕は首を振ってペットボトルを押し戻した。
困ったように首を傾げ、彼はまた立ち上がる。
棚のガラスではないところを開けて、箱を取り出した。
「昨日 父さんが貰ってきた。おまんじゅうなんか 食べないか」
後半は独り言だった。僕は「好き」と言った。
彼は本当に嬉しそうな顔をして蓋を開けて箱をテーブルに置いた。
覗き込んで僕は迷う。
中に入っていた紙を手に、ひとつひとつ中身を取り出して彼は説明してくれた。
これは白あん。これはうぐいす餡? こっちの方が賞味期限が長いなど。
僕がひとつを選ぶと、彼は端の方のパイ風のお菓子を取った。
台所からマグカップを取ってきて、ペットボトルの中身を半分注いだ。
残りのボトルを僕の前に置き直す。
おまんじゅうに炭酸は合わないのに。
「カードってどんなカード? バトルとかするの?」
確かに中学生で遊ぶ人はいるけど、彼がそれを好きなようには見えない。
僕は「前のとこでも流行ってたんじゃない」と訊き返した。
どこかさみしげに彼は答えた。
「引っ越す前は そう あまり興味なくてね」
僕は無遠慮な好奇心を抑えられない子供だった。
だが僕は何も訊かずお菓子にかぶりついた。
そんな僕を彼はじっと見て、また口を開いた。
「校長先生のネクタイは いつも可愛いの?」
「うん。子供が好きな柄を選んでるんだって。毎朝校門に立っているんだよ」
「いいね いい先生だね」
誕生日の生徒を校長室に呼んで、鉛筆とか消しゴムとかのちょっとした文具をくれる話や、
お手紙箱があって返事もちゃんと書いてくれるんだとか、僕は懸命に喋った。
ちゃんと聞いてもらえるという事はこんなにも嬉しい。
僕は二個目のお菓子を平らげ、彼は持て余しながら一個目を食べ終えた。
「おにいさん 塾とか ないの?」
彼は驚いたように目を見開いた。僕は少しどっきりする。
身体を起こした反動で前髪がわずかに跳ね上がったのと、目の表情が全く違ったのと。
彼が何に驚いたのか、最初僕には分からなかった。
「ないの?」
「……ああ」 苦笑を微笑にすり替えるような、不思議で曖昧な顔だった。
暫く迷い、それからテーブルの上で腕を組んで顔を前に出した。
つられて僕も少し屈み込む。内緒話のようにくすぐったい気分になる。
「もう一回」
「え?」
彼は身を引いて「ううん」と言った。
「そういう君は 習い事とかないのかな?」
今度は僕が後ろに引く番だった。「なーんにも」
彼は「そう」としか言わなかったが、僕はひとりで続けた。
「習字もそろばんも一週間で飽きちゃった。
スイミングはわりと好きだったんだけど 習字とか始めるためにやめたんだ。
座ってるの嫌い」
「じゃ 公園 行く?」 彼は訊いた。
僕は慌てて首を振った。実は公園で約束がある。
だが僕はもっと彼と過ごしたかった。友達とはいつでも遊べる。
彼は少し安心したようだった。言い出しながら、それほど乗り気ではなかったのだろう。
中学生だもの。彼が公園で色鬼をしたり野球もどきをしたりする姿は想像できなかった。
「塾とかないなら ええと 部活? 部活は?」
「あの学校は強制じゃないんだ」
「入ってない?」
彼は少し間を置き、「寂しがるといけないから」と言った。
誰が? 何が? 当然浮かぶ質問を、僕は口に出せなかった。
彼の言葉を正しく理解できたか、自信がなかった。
それまでも会話は成立していたのだが、それは当たり前の事じゃなく、
彼の意思と偶然とのなせる業でしかなかったような、そんな印象があったのだ。
「小学校の部活は4年生からだっけ? ここの学校は何があるかな。何がやりたい?」
彼が出してくれた話題に僕は飛びついた。
沈黙の気まずさと、それを高じさせたくないという思いと、
だがまだ帰りたくない気持ちで僕は落ち着かなかった。
部活などまだ先で、漠然と野球がいいかなサッカーにしようかというくらいしかなかったが、
そのどちらも大好きであるかのように僕は語った。
彼はそれを嬉しそうに聞く。
自分は運動はあまり得意ではないからそういうの憧れるよと言う。
僕はすっかり舞い上がる。
彼が時計を見るまで夢中で喋り続けた。
「ごめんね 引き止めちゃって」 彼は言った。
僕は力いっぱい首を振る。
玄関口で「また来てくれる?」と彼は訊いた。
僕は思わず叫んでいた。「いいの? 本当にいいの?」
不思議そうに彼は「どうして?」と言う。
だって。彼は僕と話して楽しいんだろうか。仲良しだった裕樹くんでさえ僕を子ども扱いする。
彼は僕にではなく自分に言うように、言った。
「君が来たいと思ったら いつだっていいんだ」
僕はまた来たい。彼と話したい。今だってもっと話していたい。
話を正面で聞いて貰える事がこんなにも気持ちのいいものだなんて知らなかった。
同級生では駄目だ。大人がいい。彼は大人ではなかったが、僕よりはずっと大人だった。
年上の彼が僕を気遣い、僕に質問し、僕の話に耳を傾けてくれる。
「きっとだよ」 僕は念を押す。
「約束だよ」 彼は同じくらいの熱意で僕に言った。



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by officialstar | 2012-06-25 11:23 | DOLL
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