烏鷺

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さえ 2

しかし現実は甘くない。
勉強を教えてもらうとして、どこで?
図書館では声は出せない。
前の時のように飲食店の片隅でとしても、こちらの小遣いが続かない。
現にそれは来月まで不可能なのだ。
電話番号を前に私は頭を抱えて唸っていた。
これきりにはしたくない。彼と会いたい。彼となら愉しく勉強できる。数学だって得意になってみせる。
そうだ。
引出しから塾のパンフレットを出した。
今は週に二回通っている。これを一回に減らしたらどうだろう。その浮いた分で彼に家庭教師を頼む。
家庭教師の相場は友人にでも訊かないと分からないが、
ある程度高くなっても成績を条件に出せば親も聞いてくれるだろう。
そうそう。家庭教師を呼ぶとなれば部屋の掃除もしなくてはならない。
母親だって私が掃除するのは嬉しい筈だ。
彼なら母親の好みにも合うのではないか? 知的で優しげであまり男臭くない。
ああ。大学はどこだろう。それも駆け引きの条件になる。
その前に彼は承諾してくれるだろうか。
親と彼、どちらに先に話を持ちかけるべきか。

電話をした。
塾のある駅前で二度会ったのは、彼もその曜日、その時刻にその付近で用事があったからだった。
そしてその用件というのはずばり家庭教師のバイトだった。
塾の始まる30分前に待ち合わせ、立ち話をした。
「私も頼めない?」
「家庭教師? 親御さんに許可はとってあるの」
私は早口に自分の計画を言った。彼の了解を得たら、親にそれを話す。
彼は黙ってそれを聞いていた。私が話し終わった後も黙っていた。観察するように私を見ている。
「塾は 続けなさい。勉強は教えてあげる。条件は それは君の家ではなく 僕の家でという事だ。
無料で構わないのだけど 却って説得力がないから一回2000円くらいでどうだろう。
毎週でなくてもいい。土曜日の午後なら何時間でも」
「ええ?」
「返事は今でなくていいよ。また電話をくれたら。
それでよければ 一度君の家に挨拶に伺う。ああ」と彼はズボンから財布を取り出した。
学生証を開くと私に見せた。
交渉の条件を私はひとつ貰ったわけだ。
学校名と学部を目にやきつけ、私は頷いた。
「でも 本当にそれで いいの?」
「それとも出来高払いで請求しようかな? 順位10番につき1000円で」
彼が楽しそうに笑ったので、それは彼の本心に違いないと私は決めた。
その日家に帰ると私は早速親に話をした。
善は急げな気持ちであったのだが、親の反応は違った。
学校がよくても相手は男。どうしてこちらの家でなく相手の部屋なのか。
彼が示した条件もマイナスになった。家庭教師としての実績、或いは自信や自負はあるのか。
「会ってみたら分かる」 私は言った。「実績がどうとかより 私に合うか合わないかだもん。
許してくれたら私は頑張る。頑張れる」
両親は顔を見合わせ、ふたりで相談するから朝まで待てと言った。
私は心配より腹立ちで眠れなかった。

彼に会ってみたらいいんだ。
そうもしないで反対するならもう知らない。勉強なんかしてやるもんか。塾なんか大嫌いだ。
布団の中でぶつぶつと呟いていたのが聞こえたのか通じたのか、
次の日朝食の席で承諾の返事を知らされた。
「でもちゃんと決めるのは お会いしてからよ。お礼の件も」
「会えば分かる」 私は力を込めて繰り返した。
しかし怒りが消えると頭も冷えた。
自分でも不思議だった。どうして自分はそこまで彼を信頼できるのだろう? 二度会ったきり。
彼が「いい人」という保証なんてどこにもない。
自分にそれだけの審眼があると確信できるのか?
違う。彼にまた会いたいのだ。
彼の声で数学を教えて貰いたいのだ。彼はいい人でなければならない。
そうでなければ私は何も望めない。
彼は親に会うと言った。親は彼に会うと言った。
その先は大人たちに任せればいい。
私はただ彼に会いたいだけだ。

どうして彼が自宅での指導を希望するのか。
一番の問題点であるそれを彼は両親の前で説明した。それで全てOKだった。
彼は住所のメモをテーブルに置いた。知っているマンションだった。
「初日は揃っておいでになりますか?」
私は嫌だったが、彼が言うのなら仕方ない。父親は「いや」と言い、母は「はい」と答えた。
次の土曜日に私は母とその住所に向かった。
インターフォンを押して実際に彼の声を聞くまで落ち着かなかった。
部屋の中は片付いていた。
訪問は分かっていたので当然といえば当然だが、それでも私の家よりこざっぱりと見えた。
ダイニングテーブルに母と並んで座る。彼はそこで勉強するのだと言った。
広めのLDKの隅にソファベッドが置いてある。パソコンとオーディオはあったがテレビはなかった。
彼はドアのひとつを指差した。
「お話した弟は あの部屋におります。昨夜から熱を出して寝ています。
発熱時は免疫力が低下しているので 申し訳ありませんが 会っては頂けません」
彼の物言いは柔らかであったが、なぜか質問を差し挟ませない。
母は「お大事に」とだけ言った。
彼が自宅に拘ったのはその弟のせいだった。
私と同学年だという弟は事情があって学校に通えない。
週末は兄弟で過ごすようにしているのだが、同じ年頃の子と接触させてみたい。
彼はその説明を繰り返すと私を見、その目を隣の母に向けた。
両親は死別して、保護者である父親は仕事で海外にいる。
このマンションは兄弟のためだけの部屋という事になる。
「弟さんの事は おいおい娘から話が聞けると思います。
でも娘をこちらに伺わせる第一の目的はあくまでも学習指導なので そこのところは」
「心得てます」 彼は舌を噛みそうな母より余程大人の笑顔で、そう言った。
母は両手を膝に乗せて「よろしくお願いします」と言った。
私は鞄をテーブルに置いた。「じゃ 早速。お母さんはもういいでしょ」
「暫く見て貰っていたら」と彼は言ったが、母はそそくさと立ち上がった。
そしてもう一度礼をして出て行った。
私は鞄から出した筆箱を放り出し、両手を挙げた。
彼は私を眺めて肩を竦め、母の分のカップをキッチンに持っていった。
ティーポットを手に戻り、「勉強の前に もう少し話をしてもいいかな」と言った。
望むところである。
「謝らなければならない嘘があるんだ」 彼は言った。





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by officialstar | 2012-06-27 15:09 | DOLL
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