烏鷺

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真理子 2



だが私がその事実に気づくのに何分もかからなかった。
その少年は瞬きしない。
その少年は呼吸をしていない。
私は怖くて隣に立つ彼を振り向く事が出来なかった。
彼は本気でこれを「弟」と思っているのだろうか。
「ごめんね」 緊張した時間を彼の声が破った。
私は肩の力を抜いて、彼を見た。
「でも僕にとっては弟なんだよ」
私を子供扱いしない真摯な眼差しを受け、私は頷いた。
彼がそう言うならばそうなのだ。彼がそう思うならばこの人形はただの「もの」ではないのだ。
「大切な?」
「そう 大切な」
「幾つなのかな」
「…生きていれば君と同い年」
私は息を詰めて俯いた。
「ごめんね」 彼はもう一度言った。
何に対する謝罪なのか明確ではなかった。だが私はその言葉を受け取った。
「うん。でも 嫌じゃないよ」 私は言った。
彼のそんな現実を知る事。彼が私に声をかけた理由にそんな感傷が含まれていた事。
「全然嫌じゃないよ。わ…私もこの子 好きになっていいかな」
「なってくれる?」
「可愛いし」 私は手を伸ばし、それを止めた。
触れてもいいのか分からなかった。私はその髪を撫でてみたかった。
「いいよ そっとね。初めてだから」 彼は言った。
私は手を頭に置いた。
そこから不思議なぬくもりが広がった。掌からの血流が心を包む。
とても優しく、涙ぐむほどの愛しさが胸を熱くしていった。
「私よりは 小さいよね」
「人形だから」 彼は言った。「少しずつしか大きくなれないんだ」
私は彼の世界を崩したくなかった。
彼はこの弟のために家を片付け庭を飾ろうとしている。彼はこの人形で孤独を埋めている。
「でも私より可愛いよね」
「そんなことは ないよ」 彼は言った。
それは嘘だと分かっていた。

私が帰る頃に苗が届いた。
手伝わなくてもいいのかしらと振り返ったが、彼は見送る素振りを中断しなかった。
私は家に戻った。
窓際に立って母はそれを迎えた。その窓からは隣家の庭が見える。
「あれがあんたのアドバイスの成果なら まあ上出来だわね」
それからいろいろ聞き出そうとした。
だが私は自分でも驚くほど彼の事を知らなかった。
午後を一緒に過ごしたのに新しい情報は殆どない。
彼の「弟」には会ったけれど、彼が一人暮らしだという事実はそのままなのだ。
確かめようと思っていた学校の事は全く頭に浮かばなかった。
「いい人だよ」 私はそう言った。
敢えて気のないように告げるのに少しばかり努力を要した。
母は肩を竦め、選んだ花の種類と購入した肥料や薬剤の名前を確認した。
その正確な回答さえ彼女は受け取れなかったが、最初から期待も薄かったようだった。
私はじきに解放された。
自室に入って私はふたりの事を考える。

彼と弟。
生きていればと彼は言った。死んでしまった可哀相な弟。
あの人形はその面影を映しているのだろうか。
見る側の心情によって印象を変える面差しの彼だから、人形に似ているといえばいえた。
特別にきれいではないが現実の垢のない兄弟。
その生活は味気のないものだろう。
だが12歳の少女の想像力はそれを脇に押し遣る程に強力だった。

設えられた花壇に定着していく苗。綻びつつある蕾を彼は時々私を手招きして見せる。

それは朝だったり学校帰りだったり。
土曜日の午後ならば私は靴を脱いで弟に話し掛けにいく。
弟は何枚か服を持っているようだった。
柔軟剤の香りのする、丁寧にアイロンのかけられたシャツは見る度違う柄だった。
「まめ だね」と私が言うと「そうだね」と彼は言った。「時間は あるからね」
「学校はどうしているの」 思わず私は訊いていた。
探るつもりのない、反射的に出た質問だった。
彼は軽く「行っていない」と答えた。「大検…知ってるよね。その勉強はしている。幾つか試験も通ったよ」
「ずっと…?」
「弟をひとりにしておけないから」
私は人形を見る。
「でも そろそろ大丈夫だよね。真理ちゃんは留守番平気だろう」
「そんな子供じゃないもの」
「大学には通いたいと思っている。
まだとらないといけない課目もあるけど その次には受験勉強も控えているけど」
「すごいね」 私は言った。
「全然?」 彼は笑いながら首を振った。

半袖でも暑いと感じるようになった頃、彼は買い物につきあって欲しいと言った。
「ランニングとかタンクトップとか。選んで貰えるかな」
「彼の?」
「去年のじゃ そろそろ子供っぽ過ぎるから」
その言葉を母に聞かせたいと思いながら私は勿論承諾した。
草花の苗の時よりは自信がある。何より私にはこの弟に着せてみたい色があった。
彼ならば選ばない色彩、彼ならば躊躇する組み合わせ。
自分が理想とする男の子に着せたい服。
その全部を拒んだりはしないだろう。言い出したのは彼の方なのだから。

そして夏も過ぎ、秋が来た。
夏休みの間の事は不思議とあまり覚えていない。
彼の家にも何度かは行ったが、普段の訪問を越える事はなかった。
二学期が始まり、彼は私が選んだランニングに半袖をコーディネイトしていった。
初めて会った時と少し変わって見えた。季節ひとつ分の成長だと私は思った。
実際には服装が変化しただけなのだが。

今度は秋物を探しに行こうと彼が言った頃だった。
遠方の親類が急逝した。
次の日から中間考査が始まる。両親は迷ったが、私を置いていく事に決めた。
「泊まりになるが」
「子供じゃないもん」
母親は鍋一杯のカレーを作っていった。
一晩が二晩になったとしてもそれなら賄えると思ったのだろう。
ふたりを見送ると、カレーの鍋と勉強道具を抱えて隣家を訪れた。
彼は少し驚いたが、苦手の数学をみて欲しいという言葉に頷いてくれた。
はしゃがずに勉強するならば然程に悪い事ではないだろうと。
私は悪い事などするつもりも、しているつもりも毛頭なかった。





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by officialstar | 2012-06-22 11:09 | DOLL
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