烏鷺

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真理子 1


隣の空家に人が越してくると聞いた。中学に入ったばかりの初夏だった。
こじんまりとした、多分三部屋くらいしかない小さな家だった。
庭が幾分広く、雑草が生い茂っていた。
いつの間に荷物を入れたか知らなかった。
土曜日の昼近く部活から戻ったら彼がそこにいた。
「やあ」とその人は言った。
生垣付近の草を抜いているところだった。
一瞬大人に見えたが、立ち上がって顔を合わせてみると高校生くらいの感じだ。
「こんにちは……」 
「おかえり 真理ちゃん。真理ちゃんだよね? お母さんが呼んでいるのが聞こえたんだけど」
「真理子」
意外な馴れ馴れしさに私は戸惑っていた。
彼はどことなく端整な雰囲気をまとっており、そういった言動にそぐわないところがあった。
だが彼のしていた事は草抜きである。
泥のついた手を彼はズボンの腰で払った。ごく自然な素振りであった。
私はじっと彼の顔を見上げた。上背があって前髪が目に被さっている。
低い視点から見るのではなければ顔立ちはよく分からなかったに違いない。
私にしても逆光のせいで曖昧な輪郭しか掴めなかった。
しかし彼のそのすらりと伸びた肢体と、知性的な鼻筋は好印象だった。
「花 詳しい?」
「うん」 言ってから慌てた。「おか……母親によく手伝わされるから」
「そうか」 彼は自分の庭を振り返った。
生垣の小さな木戸から縁側に続く道だけ草が取り除かれていた。
縁側の奥の和室に誰かいる。彼はその影に向かって振り向いたように見えた。
だが彼はその視線を庭を見渡すものにすりかえた。
「何を植えたらいいか相談するよ。考えておいてくれる?」
「おかあさんに聞いておく」
「よろしく」 彼は笑って作業に戻った。


高校生だろう。大人には見えない。
両親は? 家族は? 和室に見えた影は誰だったのだろう。
私の母は庭弄りが趣味だった。季節の花を育てるのが好きだった。
母に隣人の話をした。
躊躇いがどこかにあったが、会話した事を自慢したい気持ちも強かった。
何より花の事を教えてもらわなければならない。
「親御さんは海外らしいよ」と母は言った。
「それも片親みたい。一人暮らしならマンションの方がいいと思うのだけどね」
ひとり?
では家の中には誰もいなかったのだ。
彼は自分だけのために自分で庭を作っている。
そう考えると不思議な気分だった。
指を土で汚していても生活の匂いのしない彼が、ひとりで生活し、花を植える。
私はその事を何度も繰り返した。自分で生活し自分で花を育てる。
背の高い、あのおにいさんが。

雑草に埋もれていた間はみすぼらしくさえあった隣家だが、
彼が来てから見違えるようになっていった。
窓にかけられたカーテンや、新しくはないのにどこかインテリアなすだれ、修理された玄関の引き戸、
時々開け放されている戸口から見える範囲の室内など、
和風のコテージというに相応しい仕上がりになっていった。
部分的に残された草までが、そこが住宅地の一角に過ぎない事を忘れさせるのに一役かっている。
登校前に前日との変化を確認するのが習慣になっていた。
昨日は放り出されたままだった石が今日には並べられている。
夕方長々と伸びていたホースが今朝見当たらない。

「あれ?」 突然気づく。「学校はどうしているんだろう」
今度会ったら訊いてみようと思う。そう決めた週末、土曜の午後。
部活帰りに同じ場所で会った。
「今から苗や種を買いに行くんだ。一緒に行っていいかどうか お母さんに訊いてきてくれるかな」
私の意思はお構いなしの、私が行くと決めつけた言い方だった。
だが私は反感を覚える暇もなく、家に駆け込んで母に交渉を始めていた。
たいして役には立たないだろうという声を無視して、私は急いで着替えた。

母からの受け売りであったが、参考にはなったようだ。
彼は私の言葉に頷きながらポッドを箱に入れていった。肥料や他の用品は店員に尋ねていた。
自転車に乗り切らないくらいの量になった。
荷台もない私の自転車では手伝うにもたかが知れている。もとより彼にそのつもりはなかったようだ。
配達するという店員に彼は礼を言いながら住所のメモを渡した。
純粋に店員の申し出を喜ぶ態度だったが、
大人めいた余裕、他人の好意に慣れている印象を私は受けた。
誰も彼を拒めない。そんな気がする。
彼は私にも礼を言って軽食を奢ってくれた。
庭で一緒に食べようとアイスクリームを持ち帰った。私はその招待にときめいた。
以前ならシャトルが入っても取りに行きたくなかったあの庭が、今では別世界である。
私はいそいそと彼の後について飛び石を歩いた。
彼は走って玄関から廻り、縁側を開放した。すだれの間から私は奥を覗いた。

そして見つけた。

誰かいる。椅子に座っている。
不躾さにも気づかぬ程夢中に私は室内に目を凝らしていた。
「ああ」 彼はその視線を追い、「弟なんだ」と言った。
「弟?」 母がどこかから仕入れてきた一人暮らしという情報は間違いだったのか。
だが今日まで一度もその姿を見た事がない。
声を聞いた事がない。多分母も。母の情報源の誰もが。
「会いたい?」 内緒話に誘うような、いたずらっぽい目で彼は訊いた。
私は少しばかり主導をとりたい気持ちになった。
「だって一緒にアイスクリームを食べるのでしょう? 弟さんも」
瞳から輝きが消えた。
彼は俯き、傷ついたように「弟は食べない」と言った。
どういう事かと問うつもりが、「ごめんなさい」と言っていた。
それくらい私の目に、彼は辛そうに見えた。
「私たちばかり食べてもいいの?」
「うん」 彼は袋を開け、箱を出した。「おいしいとか 感想を言ってあげて。彼にはそれがご馳走だ」
好奇心は喉を突き上げて舌をむずむずさせていた。
だが私はそれをアイスクリームで凍らせねばならなかった。
会いたいかと彼は訊いたのだから、これを食べ終わったならば紹介してくれるだろうと自分を抑えた。
その時にその弟がアイスを食べない理由も分かる。
「うん おいしい」 私は叫んだ。
気もそぞろながら味はしっかり舌を掴んだ。母の買って来るアイスクリームとは明らかに違う。
友達と寄ったショップのものよりずっとおいしい。
こんなおいしいものを売っている店が近くにあるなんて。
その事を夢中で喋った。
彼は「どんな風においしいか言ってくれなきゃ」と笑った。
「え え? え まず味が自然。桃の味がものすごくする。甘さがねっとりしてないの。
喉の奥で香りがぽわーっと」
グルメでもない小娘の感想が何になるかと思うが、その時は夢中だった。
彼がそれを望むなら自分の中にあるありったけを出してあげたかった。
懸命に意味不明の擬音語めいた単語を並べた。彼はそれでも嬉しそうだった。
「ごちそうさま」と合わせた手を彼は握った。
「おいで」
異性に握られた手よりも、よしずの隙間に胸は高鳴った。
招き入れられるまま室内に踏み込んだ。

椅子に座った少年がこちらを見ていた。





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by officialstar | 2012-06-22 10:58 | DOLL
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