烏鷺

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無題 act5



連休だった。
柳原を部屋に迎えて夕食の支度をしていた。
里香はひとりで作業する方を好んだが、横に立つ柳原を追い払ったりもしない。
上背のある柳原の顔は里香の頭の上にあり、その腕だけが視界に入る。
贅肉は勿論無駄な筋肉もない、モノトーンの生地に包まれた腕。
「旅行に行こうか 夏に」
唐突な申し出に里香は躊躇する。空けてしまった間を埋める言葉はない。
里香は冗談交じりに訊き返して誤魔化した。
「文化財を見に? 何 何か課題出た?」
「旅行だよ」 少し怒って柳原は言う。「どこがいい?」
里香は口実を懸命に探した。
既に関係をもってしまっている二人にとって、旅行は特別な意味をもたない。
それを断る事が即ち恋人の拒絶にはならない筈だ。
「素敵だわね でも」
「行き先を決めよう。日程は まだ無理かな」
「待って」
突然玄関のドアが開いた。
柳原の方が反応が早かった。
里香は中断前の話題に集中していた。
柳原に肩を叩かれて、それから戸口を見た。
母が立っていた。
彼女はふたりを見、それから腰を屈めて両脇に荷物を置いた。
不必要なまでに深く身体を折り、ゆっくりと伸ばす。
「お母さん」 娘の声を待っていたようである。
「いきなりだったかしら」
「ええ」と里香は言い、「まあ」と濁した。
作業を中断して手を拭う。困惑する柳原を一瞬忘れていた。
「そちらは?」 母が問う。
「大学の」
柳原は一歩前に出て名前を言った。学部を告げ、一年上である事を伝える。
その先は続けられない。
「夕食を作っているの」 里香は言った。「よかった お肉だから」
二人分の分量を三人に分けられる。
仕掛けた米は残ったら冷凍するつもりで二合だし。
「俺は失礼するよ」
「でも」 材料は一緒に買った。費用はいつも折半だ。
ふたりで母を見る。
母は「遠慮なさらないで」と言った。「いきなり来た私が悪いのよね」
里香は掌で柳原の腕を押した。柳原はよろめき、里香を見る。
うつむく里香の表情は彼には見えない。
柳原は「いいえ 俺 帰ります」と言った。
里香も止めなかった。
柳原が玄関を出て行くと、母は荷を解いて容器を取り出した。
家から持ってきた料理の数々をテーブルに並べる。
それは二人には多すぎる。里香の作った皿は狭いテーブルに乗らないだろう。
里香がフライパンに残したそれに母は触れなかった。
食べている間の会話は少ない。
里香は茶碗の米粒を箸の先で丁寧に拾った。
母の視線を感じる。
「ごちそうさま」
部屋にテレビはない。どうしてもという時はパソコンで観る。
二人掛けのソファに座った母は室内を見回すと、退屈した。
里香は食器を流しに入れ、「予定は?」と訊いた。
泊まるつもりならばマットレスを抜かなければならない。
「殺風景な部屋ね」と母は言った。
里香は諦め、皿を洗った。ベッドを作り直し、タオルを出す。
母は突然の来訪の理由を言わなかった。
春休みに帰省しなかったせいであろうか。
「ここを足場に観て歩こうと思うの。折角だもの」
「そうね。どこか案内する?」
「いいところがあるなら」
学校とバイト先しか知らない。大学の傍の店と。
みちると巡ったショッピングモール。しかしそこは母には不似合いだ。
里香が黙っていると母は「出不精は相変わらずね」と笑った。
入学前に買ったガイドブックがどこかにあった。
里香はそれを探し、母に差し出す。母はそれを捲る。
次の日の朝、母はひとりで出て行った。
里香は柳原に電話して前日の事を詫びた。柳原は「お母さんは」と訊く。
「分からない。連休中いるかも知れない」
柳原は溜息を呑み込み、「車が要るのなら出すよ」と言った。
母はあれから柳原の事を訊かない。
里香も話さなかった。話したくもない。
母の荷物を隅に寄せて掃除をした。
マットレスを壁に立てかける。
昨夜母はそれに新品のシーツを掛けて横になり、肌掛けを着て寝た。
里香はラグにも使う家具カバーを畳んでベッドに敷き、
それまで使っていたシーツを掛け直して使った。
母は水通しをしてない新品を硬いと言ったが、聞こえないふりをした。
洗濯したてであるとはいえ、里香のシーツは柳原の匂いを吸っている。
母に何も探られたくなかった。共有などしたくなかった。
眠れなかったのは背中が痛かったからだけではない。
部屋中が母の支配下にあった。
里香は布団に潜り込みシーツに同化しようと努めたが、徒労に終った。
身体が重い。
昼寝をしておいた方がいいだろうか。あくびをして里香は思う。

母は買ってきた包みを開き、一枚の絵を取り出した。
額縁に入れられていない、キャンパスむき出しの風景画。
「ここに飾りましょう」
「釘は打てないわ」 里香は慌てて言った。
母は両手に絵を持ち、壁に当てながら場所を探す。
里香はその後をついて回り何度も駄目だと言った。
「軽いの。テープで貼り付ける金具でいいの ほら」
勝手に位置を決め、母は取り出したそれを壁紙に貼った。
キャンパスは少し揺れた後、そこに落ち着いた。
「これで少しは部屋らしくなった」と母は頷いた。
昨夜の残りで夕食を済ませ、次の日母は帰っていった。
連休はまだ残っていたが、里香は柳原に連絡を入れなかった。
柳原の方からも連絡はなかった。
里香は壁の絵を見ながら休日を過ごした。


「痩せたんじゃない?」 友人が言った。「顔色も悪い」
「蒸し暑いわ。暑いからよ」 里香は応えた。
10日間の連休だった。
柳原と会わないまま大学に出た。
すれ違った学生皆に痩せたと言われた。連休中食欲がなかったのは事実だ。
母の置いていった常備菜を全部食べた後は殆ど料理をしていない。
午後柳原からメールが入った。夕方の予定を訊いていた。
里香はごめんなさいと打ち込んだ。暫く考え「バイト」と入れた。
久しぶりの大学に疲労感がひどかった。
だがそう伝えると心配して部屋に来るかも知れない。
里香は4限目を休んで帰った。
玄関を入り、ミニキッチンを通ってワンルームに入る。
白い部屋に浮き上がる一枚の絵。
テープでは支えきれず、床に落ちて、そのままの状態だった。
どこかの街。ヨーロッパを思わせる石畳と、向こうではありきたりであろう建物。
それだけの絵だった。だがここではないどこか遠く。
しかしどこかにはある場所。
里香は床に膝をつき、間近で絵を見つめる。
指で建物の輪郭を描く線に触れる。
油絵具の膨らみを感じる。



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by officialstar | 2012-06-14 10:13 | 無題
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