烏鷺

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無題 act3



会合のテーブルの隅から、里香は遅れてきた柳原を見ていた。
スキー合宿の話が進んでいた。
「参加する?」と隣に座るみちるが訊いた。里香は首を振った。
みちるは手を挙げた。「スキーやらなくてもいい?」
「温泉ないですが」
「ふん」と手を下ろした。
柳原はコートを脱いだ。その寸前に里香は目を逸らした。魔法が解ける前に。
「行きましょうか」 みちるに言った。「合宿」
「行って?」
「ふたりで雪の中を歩きましょう」
みちるは退屈そうに「ああ」と言った。
里香はみちるは行かないだろうと思った。
それはそれでいいのだ。自分はシチュエーションを得た。
真っ白な世界をみちると歩く。ホワイトアウトに全て閉ざされる。
天もない。地もない。手を伸ばせば届くみちるの姿さえ見えない。
ただ感じるだけ。
みちるが反対側の隅の柳原を見ている事に気づいた。
テーブルに置いてあった参加申込のプリントを彼は熱心に見ている。
「ウェア 見に行く?」 みちるが言った。
里香は「いいえ」と答えた。その時携帯の着信に気づいた。
メールの送信者は柳原だった。
里香はテーブルの下でそれを開き、文面を読んだ。
自分の住所と部屋番号を打ち込んだ。指は直線で送信ボタンに飛んだ。
携帯を閉じ、みちるに「先に失礼します」と言った。


ふたりベッドに並び、天井を見ている。
柳原の腕が動く。里香は動き出す前の筋肉の緊張をシーツの下に感じていた。
「私にはね」 里香は喋りだす。柳原の動作が止まる。「姉がいたの」
「いた?」
「いる筈だった。母は流産した。私が生まれる そう 15年前」
そうひと息に告げて里香は目を閉じた。
姉というのは嘘だった。性別など知らない。名前もついていない。
法的には「モノ」でしかなかった。
なぜこんな事を話し始めてしまったのだろう。
母親の流産の話など誰にも喋った事がない。母でさえ話題にしたのは一度きりだ。
里香が小学校に上がる頃?
違う。聞いたのは母親からではなかった。父の独り言だった。
「ひとりっこにしてしまったなあ」と父は言った。
あの子が生まれていたら。もう何年になるだろう? そんな風な。
6歳かそこらの里香に完全な理解は無理だった。
だが漠然と彼女は知った。納得した。
里香は何度も反芻して言葉を記憶した。
成長して全部の単語を繋ぎ合わせられるようになるまで繰り返した。
自分が生まれる15年前、母は23歳の時に流産した。
その認識と、里香がその時に聞いた何かが嵌る音は同じであったかも知れない。
里香は父の顔を見上げながら、ああそうかと思った。思うでもなく感じた。
「振り向かないの」 母が叱る。「どうしていちいち振り返るの」
そういう事だったのだ。
姉が部屋を訪れるようになったのはいつだっただろう。
もっとずっと後、中学生になった頃ではなかったか。
「さみしい?」 柳原が訊いた。
里香は「別に」と答える。「柳原さん 兄弟は?」
「弟がいる。三歳違い。まあ普通かな」
「似ていますか?」
喋るのは大儀だった。だが言葉が途切れると柳原の筋肉が小さく軋む。
里香はそれを聞きたくなかった。
いつまでもこうやって天井を見ていたかった。
シーツの下の素肌を気恥ずかしいものにしたくなかった。
「帰らなくちゃいけない」 里香は言った。
「……そうなの」
「そう」
柳原は起き上がる。視界に浮き上がった白い背中を里香は見る。
そしてまた目を閉じた。
里香が送ったメール画面を手に、柳原は部屋のドアを叩いた。
招き入れた里香に初めて会った時から好きだったと彼は言った。
その事実は里香を幸福にはしなかったが、訥々と語る声は心をくすぐった。
出会った頃の里香に特別な魅力があった筈はない。
柳原は、グラスを砦に懸命に自分を守ろうとする少女が愛しかったと語る。
田舎から出てきた純朴な娘を里香は描く。
「それが」と柳原は溜息をついた。「見る間にきれいになって」
みちるの手ほどきである事は分かっていた。不快ではなかったが不安だった。
その変化が他の男の気を惹く事と、里香自身が振り回されているのではないかと。
俯きがちの顔は前髪に隠され、長くしなやかな指が雄弁に里香を口説く。
「もう着ないの」 里香は言った。「もう脱ぐわ」
里香はあなたはコート以外何も着ないのがいいと柳原に言った。
そして彼が全部を脱ぐのを止めなかった。
全てが終わり、感動と充足に柳原が息を吐くのを聞いた。
見上げた天井は白かった。ベッドに素裸でいる事の頼りなさと、
だがそれゆえの、自分を何かに委ねている心地よさと安堵感、
壁に求め、得られずにいた密度を里香は知った。
衣擦の音に耳を澄まし、ハンガーからコートを外すのを聞いて目を開けた。
黒いコートが宙に踊った。舞い降りて柳原の身体を包む。
「帰らなくちゃいけない?」 柳原は言う。
「ええ」 里香は言ってシーツを顔まで引き上げた。


クリスマスを柳原と過ごして、家に戻った。
翌日高校の同級生から電話が入った。
会える?と訊く。勿論と答える。
大学入学の際、不用品の電化製品の仲介をしてくれた友人だ。
何となく集まった地味な集団の交友関係の中でひとり異彩を放つ、社交的な少女。
艶やかな空気をまとって待ち合わせの喫茶店に現れた。
「夏休みもこっち戻ってたんだって?」
綾女は少し詰るように言った。
とはいえ、彼女も免許合宿と北海道旅行で殆ど地元にはいなかった。
「彼も 戻ってきてるよ? 知ってる?」
「彼?」
「やだ」 綾女は身体を椅子の背もたれにぶつけた。
里香は懸命に思い出す。ああ! 確か東京の大学を受けると言っていた。
ねえと友人は身を乗り出した。
「私 高谷の友達と親しくなったの。杉崎。知ってるでしょ 誘ってみない?」
里香は首を真っ直ぐに立て直して「駄目」と答えた。
「どうして」
どうしても。そう見返す。
もしかして? と綾女は問う。里香は頷いた。
「じゃ 決まり。私は高谷。さとは杉崎と」
強引だと思ったが、無下にも出来なかった。
綾女は里香の学校生活に彩りを添えてくれた友人だ。
ふたりでグランドに高谷の姿を探すのは愉しかった。
仄かで密かな恋心は切ない甘さだけを少女に与えてくれた。
卒業まで告白されなかった想いは本気ではなかった筈だ。
綾女ならばどんな壁も突き破れる。
試みなかったのはそれが綾女にとっても仮想現実に過ぎなかったからではないのか。
その綾女が里香の前でメールを打っている。
ぷち同窓会と名目をつけて高谷と会おうとしている。
瞬きを忘れたように視界が霞んだ。焦点が綾女に合わない。
テーブルの上に視線を落としてきつく目を閉じた。
水の中で聞く声のようだった。店内のざわめきが非現実になる。
「やたっ」
「え?」
「明後日 高谷と約束があるってよ。一緒しても構わないって」
綾女はもう決定したとばかりに里香に時間を告げる。
先に待ち合わせておこうと場所を決める。何を着ていくか相談をする。
「あやは可愛いもの。何を着ても似合う」
「そういう さとこそ。彼氏が出来たから? 雰囲気変わったよね」
これは。里香は巻いた髪を指で握る。
みちるの助言とみちるの好み。
服は全部置いてきたが、何もかもが戻ったわけでもない。
「大学に 美術科があるから。知り合いも増えて影響受けたかな」
里香は言い、話題は柳原の事に移った。
女同士異性の話をする。高校の頃に高谷を追いかけた思い出が蘇る。
明後日愉しいといいねと里香は努力して言った。
綾女はそうだねと、だが上の空で言った。



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by officialstar | 2012-06-14 10:12 | 無題
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