烏鷺

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無題 act2


里香の学部は文系だった。
みちるは美術系で主にデッサンをやっていた。
最初に声をかけてきた青年は文化財保存を学んでいた。美術品の修復技術を磨く。
柳原。特に個性のない顔立ちだが、身体のバランスがやたらよかった。
里香は彼が「ちるちる」なのかと思った。
何度目かの会合で凝りもせずそれを確かめた。
素面のみちるは、それでも笑いを殺せず「ちるちるはお兄さんよね」と言った。
「こいつは年下よ」
「何ヶ月ですか」
「34ヶ月」 柳原が答えた。「だから みちる」
理解に時間が掛かった。みちるは構わず喋り出した。
「この大学でじゃないわよ。医大志望だったんだから」
3歳、里香から見れば4歳年長になるのだが、そうは見えなかった。
小柄である事も含め外見ゆえである。
マニッシュな組み合わせにセンスは感じられたが、それを活かす体形ではなかった。
当人も投げているのであろう、時々ビーチサンダルなど履いていた。
あまりよい印象は与えない。
だがそのデッサンには力があった。
ものの形を写し取るだけの絵ではない。
両手でスケッチブックを持って眺めていると、その裏側に引力を感じる。
重さに手が震えてくるまで里香は一枚のデッサンを見つめ続けた。
誉め言葉を口に出来るほど絵の事は分かっていない。
好きだとさえおこがましくて言えない気がした。
「お金 ある?」 突然みちるが訊いた。
里香は何も考えずに「幾らですか」と訊き返した。
「よし」 みちるは里香からクロッキー帳を取り上げてテーブルに放った。
そしてその手首を掴んでドアへと向かう。
「おい」 柳原が呼び止めた。里香は走り出す。邪魔されたくなかった。
引っ張るはずのみちるが懸命に走る羽目になる。
向かった先はブティックの入る駅前のビルだった。
みちるはハンガーを指先で送り、一枚を抜き取った。それを里香の胸に当てる。
顎を上げてそれを戻して別の一枚を選び直した。
その何枚目かで「うん」と頷いた。
里香はそれを鏡に見るでもなく、試着する事も考えずレジに持って行った。
艶やかな原色のパーティ。
初めての色に、だが躊躇はなかった。これはみちるが選んだのだ。
次の日それを着て大学に行った。
サークルの集まりはなかったが、みちるの居場所の見当はついた。
里香の姿を見ると、みちるは無造作に彼女の髪を結い上げた。
「いいね」 舌の奥で平淡に言う。「憎たらしい」
みちるは里香の服を何枚も見立てた。
里香が望むと靴や小物とのコーディネートも引き受けた。
使わずにおいたお金を里香はつぎ込んだ。
クラスの友人達にも好評だった。鏡の中に知らない自分を見る。
里香は自分の部屋にみちるを招いた。友人の誰も呼んだ事がない。
うっかり買った夏のバッグのせいで荷物が嵩張ったのがきっかけだった。
一度通してしまえば抵抗はなくなる。毎週のようにみちるは来た。
殺風景な室内で、ハンガーパイプだけが華やいでいる。
ふたりは壁際に並んで座り、その花園を眺めて過ごした。
横に詰まれた小物たちが漂わす夏の気配は、不思議と胸を躍らせる。
里香はみちるを見ない。原色の観賞に疲れると貰ったクロッキー帳を開く。
みちるは色を愛し、同時に憎んでもいるようだった。



夏休み、里香は帰郷した。
サークルの合宿を断りたかったので言い訳にはなった。
バイトもやめたかった。休暇の殆どを里香は実家で過ごした。
母が昼食を作る。「最後の一粒まで」と指を差す。
食べ終わると里香は二階に上がる。壁に凭れて座る。
姉は来ない。
里香は背中で壁を押す。膝の裏を汗が伝う。
今年の夏は特別暑いのかしら。今年の蝉は特別うるさいのかしら。
里香は壁に入れない。
そう。もしかしたら溶けてそのまま戻れなくなる。
どこかからピアノの音が聴こえてきた。この近所でついぞ聴いた事がない。
なめらかな慣れた演奏のその音はここで育ったものではない。
里香は想像する。
背に亜麻色の髪を垂らした少女の、細い肢体。
身体を揺らしながら鍵盤に指を舞わせる。傾げた首と僅かに開いた唇と次第に上気する頬と。
カーテンが揺れる。
それは里香の現実だった。
汗ばんで目を開ける。ピアノはもうやんでいた。
毎日繰り返される。
母は里香が最後の一箸を動かす直前に言う。里香は子供のように彼女を見上げて覗いをたてる。
自室に入ってピアノを聴く。
みちるは一ヶ月でピアノをやめたと言う。ピアノは新しいまま業者に引き取られた。
「ああ うるさい」
みちるの声がピアノの音を蹴った。
里香は驚いて目を開けた。無論みちるはいない。
しかしそれは自分の声でもない。
里香は思い出す。それはみちるが里香の部屋で発した声だ。
壁に並んでハンガーパイプを眺めていた時に。
持ち帰らなかったそれらの服はあまりにお喋りだった。


季節は冬になった。
柳原が黒いコートを着てきた。
一年前の冬も愛用していたのだとみちるは侮蔑的に言った。
似合うと里香は思った。柳原の体の線を一番に引き立てる。
コートの下はいつもの野暮ったい服でしかないのだが、
それを忘れて里香はその姿に見惚れた。
彼の無個性さが逆に、どの俳優にも重ねられそうで、
外国の映画や小説の好きなシーンに写し込む事が出来た。
里香に見られていると気づくと、柳原は困ったような顔をする。
その顰め面がまた、無国籍な雰囲気を作り出すのだった。



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by officialstar | 2012-06-14 10:11 | 無題
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